4448号 日比谷公園

日比谷公園は上野公園と並んで、よく行く場所です。

先日は「日韓交流おまつり」へ行ってみました。

日比谷交差点側は、心字池や石垣など、昔の面影が残っています。
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もとはお堀の一部だったようです。
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公園の説明が掲示してありました。
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<幕末までは松平肥前の守の屋敷地で、明治初年は陸軍練兵場となっていたところでした。・・・・日本初の洋式庭園として明治36年に開園されました。>
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現在公園内にある松本楼は、開園と同時にできたそうです。
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この掲示板には、「伊達政宗終焉の地」とあり、伊達藩の屋敷があったそうです。松平の屋敷があったと上の説明にありますが、江戸時代のどこかで、伊達から松平に移ったものと思われます。
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4447号 台風一過

台風の影響は皆さんどうでした?

台風19号は来る前から大型で強力だと、メディアで注意情報を流していたので、市民の準備対応はかなり良く出来ていたのではないでしょうか。

スーパーに行くと、食料品の棚には商品がが少なく、特にパンはどこの店でも払底していました。

普段はそんなに客が来ない時間でも、今回はレジに長い列ができました。

前回の15号が効いているようです。

さてその台風の我が家の対応です。

雨戸を金曜日の夕方にはすべて閉め、出窓などのガラス部分には段ボールを張り付けました。

バスタブは水を満たし、トイレなど排水口の逆流防止策もやりました。


江戸川区はハザードマップでピンク色になって、「ここにいてはダメ」みたいなセンセーショナルなキャッチでメディアでは有名です。

江東5区は水害に見舞われると心配されているわけです。

NHK防災サイトで、河川の状況が見られるようになっています。

江戸川に設置された防災カメラを見て、川の水位を確かめます。

江戸川は荒川に比べ河川敷が広いので、普段から心配していないのですが、メディアで「命を守る」とあれだけ警告が続いているので、一応対応しました。

1階に置いてある大事なものを3階まで引越です。

まずはパソコン、ノートなら簡単ですが、私のはデスクトップで、本体とディスプレイが別々になっています。

一度ルーターまで外してしまったら、光電話が使えなくなり、慌ててもとに戻しました。

そしてギターです。

レキントギターが2本、普通のが3本あり、階段で運ぶうちに額からいつもは出ない汗がタラタラ。

一眼レフを入れているケースも運びました。

いよいよ台風さまの到来です。

21時、予報通り風が強くなり家が揺れます。

不思議なことなのですが、いつも江戸川区は都心ほど雨が降らないのです。

窓の隙間から前面道路を見ても、少しも水たまりができていません。


結局何も起こらず、いまこれを書いているのは台風一過のさわやかな天気です。

何事もなく台風は通り過ぎ、パソコンの接続も支障なく出来ました。

今日はラグビーをぜひともやってほしいものです。


4446号 名前と漢字

日本人の名前、姓名のほとんどが漢字表記でなされています。

韓国がハングル表記に転じ、漢字を捨てたようになっているので、世界で漢字名は中国と日本だけでしょう。

名前には音の響き、つまり耳からの印象があります。

アルファベット表記の多くの国は、音の印象だけです。

漢字にはそれぞれ意味があります。

同じ音でも漢字が異なれば、印象は変わります。

意味に加え目からの印象もあります。

好きな漢字を選べ、美しい名前を作れる日本人は幸せと言えます。

韓国はハングルでもいいですが、漢字名を残すべきですね。

4445号 “トリオ”・ロス・コンパニェロス

10月8日は明大前から歩いて5,6分の世田谷区施設「松原ふれあいの家」に行きました。

この日は3人、つまりトリオでした。

一人ギックリ腰になってお休みです。

11時から約1時間、途中私の日本の歌のソロを入れて、無事終わりました。

メインボーカルの伊藤君ががんばって務めました。
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これは会場のみなさんと「ふるさと」を歌っているシーンです。伊藤君がハーモニカでイントロを吹いています。
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お客様は30人以上いましたが、やはり女性がほとんどでした。
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12時過ぎにその場を辞して、明大前駅近くの「近江屋」というそば屋に入り昼食を摂りました。

しばらくすると、なんとHOTコロッケの常連さんが入ってきて「奇遇ですなぁ」ということに。

近くに来たのだそうです。

「来年はHOTコロッケの20周年ですね」とか、ちょこっと話をして店を出ました。




4444号 酔いとは何か

落語の枕にこういうのがあります。

医者の先生に酒を飲んでも大丈夫かと聞くと、酒が嫌いな先生は「酒は百害あって一利なしです。すぐにやめなさい。」と言いますが、好きな先生は「たんとはいかんが、ほどほどなら・・・。」と違うことを言います。

私は酒に弱く、乾杯のビール一杯でおしまいです。

「普通の人のように酒が飲めたらどんなに人生が楽しいか・・」と酒席でよく言います。

今月の「ニュートン」には、こんな記事がありました。
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お酒に含まれるアルコールは、この図のように代謝され、体外に排出されます。
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胃や小腸→肝臓(アルコール脱水素酵素で→アセトアルデヒド)→肝臓(アセトアルデヒド脱水素酵素で→酢酸)→筋肉(二酸化炭素、水)→体外へ

お酒が飲めるかどうかは、アセトアルデヒド脱水素酵素の遺伝子が正常か、もしくは変異したものかによります。

遺伝子は二つセットになっていて、二つとも正常、一つだけ正常一つが変異、二つとも変異の3種類あります。

「二つとも正常」はお酒が飲める、「一つだけ正常一つが変異」は少し飲める、「二つとも変異」はまったく受け付けない、ということになります。

日本人では正常が53%、次が43%で、残りの4%がまったくダメという分類です。

私は少し飲めるの組かと思ったら、定義としては「日本酒1合程度なら問題ないが、それ以上は悪酔いする」だそうです。

欧米人は90%が正常型で、悪酔いする人は少ないとか。

医学的に「酔いとは何か」ですが、「エタノールが脳などの中枢神経系におよぼす急性の影響で、脳の大脳皮質がになっている制御機構が麻痺すること」とされています。

声が大きくなったり、普段言えないようなことが大胆に出てしまうのです。

「訓練すれば飲めるようになる」は、たしかにそうした傾向はあるにはあるそうです。

しかし普通に飲める人に比べ、アルコールによる健康リスクが格段に大きいので注意が必要だと、書いてありました。

飲酒の功罪の表がありました。

良い影響としては、ストレスの軽減、糖尿病のリスク低減、心臓血管系疾患のリスク低減、善玉コレステロールの増大の4つで、反対に悪い影響の方は16個もありました。

落語の枕はどちらも正しいと言えるのでしょう。


4443号 ストロー

ソフトドリンクなどの飲み物を注文すると、必ずストローがついてくる。

プラスチック製のストローをやめようという動きが有名店では始まっている。

ある場所の自販機にはストローを備えているが、「アルコール飲料はストローを使わないでください」と注意書きが書かれている。

たしかビールをストローで飲むと、酔いやすいという人がいるが、本当だろうか。

私はストローを出されても使わない。

なぜかというと、ストローで飲むとまずいからだ。

ストローが似合うのは、パラソルの下の白いチェアーに座った、麦藁帽をかぶった女性が一人でなにかを飲んでいるようなシーンであり、男たるもの、グラスから直に飲むのが正しいのだ。(写真をネットで探したがない!)

イメージがちょっと古い、昭和か?(笑)

しかし最近電車の中でストローからチューチューしている若い女がいるが、けしからん!
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電車にあんなものを持ち込むな!

男はストローを拒否し、静かにグラスから直に飲め。


4442号 高校同期会

約10年ぶりに開催された浦和高校16回生の同期会です。

10月5日(土)に行われました。

イベントは15時からですが、事前に校内を見学してもよいというので、少し早めに訪れました。

まずは「北浦和駅」を降りました。
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「浦高通り」と呼ばれている商店街を歩きます。当時は平屋の商店やしもた屋ばかりで、現在のような高い建物はありませんでした。

ここは当時小川が流れていた場所で、今は暗渠になっています。この小川の横に「中宮」というそば屋があり、よく学校の帰りに寄ったりしていました。
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校門です。この古ぼけた石づくりの門柱が唯一昔をしのぶものです。
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校名板も昔を偲ぶ貴重品です。
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中に入るとこんな案内板が。
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これが会場となる「麗和会館」です。
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校内を見て回りました。これは運動場で、サッカーやラグビーなどに使われます。この砂の撒かれたような土地を、人工芝に換えようとする運動が始まっていて寄付ができるようになりました。
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運動場の隣には、野球場があります。新入生のとき、応援団が全員をここに集め、校歌応援歌など気合を入れられたことがあり、怖かったことを覚えています。
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鉄筋コンクリート造の校舎です。当時は木造で、窓枠も木製の古いものでしたから、夏は暑く、冬は寒かったのです。もちろん冷房も暖房もありませんでした。中学にはストーブがあったのでよかったですが、浦高では結構厚着を強いられたのです。
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そしてこれが学校のシンボル、銀杏の木です。校庭にもありましたが、校門のすぐ中の大木は100周年(1995)の記念に、川越の栗原氏から譲られたものです。銀杏の前面にはこの木の由来と将来の展望が書かれています。
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「・・・・・・・都会にある社や名跡がそうであるように、この領家周辺も100年後には別の建物になり、学校であったおもかげさえなく、ビルの谷間になっているかもしれない。そしてこの地で青春時代を送った若者たちすべてが去り、周辺の人々も変わるであろう。たとえそうなろうとも「浦高の銀杏」だけは、歴史の続く限りここにあって、領家一帯を見守ってほしい。平成の私たちが、この木に託した意図と希望とを、今後この空間を扱う関係機関の人々が、文化人的慈眼と高配とをもって理解してくれることを期待しよう。」

ここは校内の東側の塀があった場所で、昔はここを乗り越えて隣にあるラーメン屋に昼飯を食べに入ったものでした。浦高はあまり生徒を制約する規則などなく、そんなことも見逃されていました。
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会場の2階が資料室になっていて、数々の写真や資料が展示されていました。
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進行役の石塚君。
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同窓会会長の田宮君。
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集合写真です。一度には撮れないので3組に分けて撮影しました。
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このようなイベントに来られる人は、ある程度健康で、ある程度余裕がある人たちだと思います。

一言でいえば「幸せな人たち」と言ってもいいでしょう。

次回、出来るかどうか疑問ですが、みなさん長生きしてください!

4441号 サプリメント

私はサプリメントを数種類飲んでいます。

サプリメントは薬ではないので、効能を記述することができません。

ということは、何に効くのかよくわからないのです。

広告は法に触れない限度で、あいまいに効能らしきものを表示しています。

私はサプリメントについてはあまり信じていません。

家内がすすめるので疑問を持たずに飲んでいますが、効いているかもしれませんが、どこかに効いているのか実感がありません。

人は「〇〇はいいわよ」とか言いますが、本当でしょうか。

悪く解釈すると、効能が書けないのが幸いして、なんでも作れるということです。

なにも効かなくていいのですから。

4440号 「麗和会」ゴルフ

「麗和会」というのは、浦和高校のOBによるゴルフ会のことです。

「麗和」という言葉は、子供のころから知っていましたが、どういう意味なのか知りません。

浦和高校同窓会のHPを見ると、このような説明がありました。


<明治10年代に県庁を中心とする文化社会の中で、「浦和」の「浦」を字面も美しく「麗(うら)らか」の「麗」の字に置き換え「麗和」と書いて「うらわ」と読んでいたのが、いつの間にか「れいわ」と読むようになり、やがて経緯が分からなくなったということのようです。>

<現在の浦高生や同窓生にとって、「麗和」という言葉は親しみ深いものです。創立 90 周年記念に開館した
「麗和会館」、各界で活躍している先輩の話を聞く「麗和セミナー」、そして各地の同窓会の支部も「麗和」
を冠するところが多くなっています。いずれも、浦中時代の『麗和会雑誌』の伝統に因むものでしょう。
「麗和」という言葉は「浦和」の美称のように理解されていますが、何時から、どんな形で広まってきた
のか、具体的な様相は明確ではありません。いくつかの漢和辞典や国語辞典を引いてみても、「麗和」とい
う熟語は見当たりません。>

こんな風で、よくわからないようです。


ゴルフ会は10月3日、場所は「鴻巣CC」、距離は近いのですが、自宅からは90分くらいかかります。

スタートが8時ですから、6時前に出なければなりません。

篠崎ICから新しく出来た外環に入り、川口JCTまで行き東北道、久喜で圏央道、次のICで降りて一般道で着きます。


最近は朝、ショットの練習をしません。

パッティンググリーンで結構時間をかけます。


ここのティイングエリアには、鳥のティーマークが置いてあります。
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一緒に回ったのは、私と同じ16回生の友人と、6歳年下の22回生でした。

カートに乗っているとき、「あの鳥はなんでしょうねぇ?」と尋ねました。

その時の説はサギじゃないか、ということでしたが、キャディーさんに聞くと「コウノトリですよ」でした。

鴻巣はコウノトリなのですね。

「ホラあそこに子供のコウノトリが見えますよ」とキャディーさんが示すのですが、わかりませんでした。


ラウンドが終わり、全員が上がってくるまで相当待ちましたが、表彰式パーティーが始まりました。

これは団体優勝した22回生チームで、この日15人も参加しました。上位4名の合計スコアーで競います。
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我ら16回生は4人だけでしたが、6位でした。

個人表彰も行われましたが、ベスグロは39・40の78という素晴らしいスコアーでした。

参加者は73名、全員おじいちゃんです。

おじいちゃんたちは元気です。

元気だからゴルフができるのです。

帰り道、新しく出来た蓮田SAに寄ってみました。

ナビでは、以前の場所を表示していましたが、そこから2Kmくら東京よりに新設されました。

中の店を見ていくと、スーパーみたいな大店舗があります。

おいしそうなブドウがありましたので、衝動買いしてしまいました。(安いですよ)







4439号 ボンネット

ゴルフ場へ向かう車がSAに一旦停まり、降りて車を見るとボンネットが5cmくらい半開きになっている。

上から押さえてガシャンと閉め、再出発。

ゴルフ場についてみると、また開いている。

ロックがあるから全部開いて、前が見えなくなるという危険なことにはならないが、気になる。

帰りも自宅へ着くと開いていた。

翌日、ディーラーは持ち込んで見てもらった。

「油さしとゴムの高さの調整をしました。これでさらに開いてしまうようなら、部品の交換が必要になります」

と、見積書を作ってくれた。

しばらく走っているが、大丈夫のようだ。

10年乗っているから、これも洗濯機と同じように“加齢”だろう。

9月下旬のことでした。


4438号 これも加齢?

洗濯機が動かなくなったのです。

スタートボタンを押すと、「ピッ」となるのですが、反応がゼロです。

技術者に見てもらい、もし重症なら新しく買おうと家内と“協議し”、サービスセンターに電話して技術者に来てもらいました。

問題点を聞かれ、状況を説明すると、もう慣れた手つきで全面のパネルを外し、なにやらちょこちょことやっていて終了です。

洗濯機にもコンピューターが入っており、パソコンでいう「ディスクのクリーンアップ」や「最適化」のようなことをしたんだと思われます。

あっという間に直り、「これでまた問題があれば、こちらに電話してください」と名刺を置いて行きました。

7年使っていると、少しずつ不具合が出て来るのだそうです。

まぁ人間でいえば70歳でしょうか。

洗濯機も加齢の症状が出るのですね。



番外 気持ち玉、コメントボタン追加

ブログの事務局からの連絡がありました。

以前「気持ち玉」という制度がありましたが、リニューアルでなくなってしまいましたが、復活しました。

記事の一番下の「気持ち玉」をクリックすると、次のページでいくつか候補が選べますので活用ください。

またそのページに「コメントを書く」というボタンがあります。

併せてご活用ください。

4437号 落語「目黒のさんま」

落語としては前座もので、「時そば」のように、多くの落語初心者が演じる。

簡単な噺なので誰でも出来そうだが、ポイントがある。

それは殿様の口調。

目黒まで遠乗りに出かけた殿様が、昼時お腹がすいてきたのに、弁当の用意がしていない。・

どこからともなく、サンマを焼くにおいが漂ってくる。

「あれはなにか?」と殿様が尋ねる。

家来はサンマの臭いを知っていて(この辺がうそっぽい)、殿様に言上する。

「あれはサンマと申しまして、イワシ、サバ、サンマは下衆下民の食するもの、お上の召し上がるものではありません」と諭す。

すると殿様は「黙れ!一朝ことあるとき、あれが食えんあれは嫌いだと言って武士が務まるか!」

道理が合っているので、家来が近くの農家から焼き立てのサンマを持ってくる。

油が乗ってプシュプシュいっているサンマを食べて、そのうまいこと!

家来はこう殿様に告げる。

「目黒にてサンマを食したことはどうかご内密に願います。サンマを食したことが上役に知れると、我らの落ち度となりますので・・」

「そうか、その方たちの迷惑になるのであれば、誰にも言わぬぞ」

その後屋敷に戻り、サンマの味が忘れられずにいたある日、殿様の親族の屋敷に招かれ、「お好みのものをいかようにもお出しします」というので、「サンマが所望じゃ」と伝えます。

食事係りの家来は「サンマ?! 間違いじゃないか、もう一度お聞きしてこい!」

結局出されたサンマは目黒で食べたあの焼き立てのプシュプシュサンマではなく、「変わり果てたるその姿!」ということになる。


話芸としては、殿様、一緒に野駆けをした家来、料理係り、それぞれの話し方を変えなくてはならないが、前座の噺家だと、同じ口調でしゃべってしまうことがままある。


目黒では毎年「目黒のサンマ祭り」を開催し、今年も岩手県宮古市からサンマ7,000匹を調達した。

焼きサンマを食べる希望者は、朝から列を作り、食べるまでの時間は3時間以上になったとか。

サンマが不漁となる昨今、いつまでやれるか注目。
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4436号 日韓交流おまつり

日比谷公園で行われている「日韓交流おまつり」は、今年で11回目になります。

9月29日(日)、どんなになったか見てきました。
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ステージでは、子供たちが日本の童謡など歌っています。このあとK-POPカバーダンスがあります(見ていません)。夕方のK-POPシークレットコンサートは指定席になっていて、事前に申し込んで抽選に当たった人が入れます。
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以前のような大きな見世物はありませんが、まぁ盛況といっていいでしょう。
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ドリンクや食べ物を買うのはクーポンが必要です。それが1000円なのです。ペットボトルの水を1本買おうとしても、1000円のクーポンが必要です。いろいろ食べたり買い物をしたりする人にはいいでしょうが・・・。
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韓国政府のやり方は許しがたいですが、このように民間の交流は続けて行ってほしいものです。



4435号 いまはもう秋

今日から10月です。

消費税が10%に上がります。

朝夕の太陽が、遅く上がり、早く沈みます。

もう秋ですね。

しかし電車の中の人々の服装はまちまちです。

まだTシャツ1枚や、ノースリーブで「夏の人」がいます。

私は寒いのが嫌なので、「いつまで夏してんの?」と、そうした人には批判的になっています。

私は比較的早めに秋支度してしまいます。

でも先日出かかたときは、日中はまだ暑いので、秋支度では暑かったですね。

だんだん暗くなるのが早まり、冬の雰囲気になっていきます。

嫌ですね冬は・・・。







4434号 宍戸ヒルズCC

江戸川稲門会のゴルフ会は、最近はこのゴルフ場でやっています。

男子のトーナメント会場となっているゴルフ場ですが、それは西コースで、私たちがプレーしたのは東コースでした。

畑岡奈紗の地元で、ここでよく練習するとか、クラブハウスには彼女の写真が飾られています。

9月26日でした。天気は最高、気温も適度で一番のゴルフ日和でしたね。
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OUT1番の写真です。左ドッグレッグです。
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ドライバーはよかったのですが、2打目を打ったら、左側の林の突き出ていた葉っぱに触れて見えなくなりました。

みんなで探してくれたのですが、見つかりません。

「なくなる球じゃないのにね・・・」とはゴルフ場ではよくある会話。

結局見つからずロスト扱いでダボ。

出だしはこんなでしたが、ニアピンを2個も獲り、前回の成績より14打も縮められ、上出来の結果に終わりました。

パット数を数えたら41も、グリーンが難しかったのがもうひとつでした。


4433号 豊洲市場へ

市場前駅はこんなに立派。
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隣の土地には大工事、なにができるのやら。
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遠景はタワーマンション群。
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手前の広場では、中古車のマーケットが。
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こちらは水産卸売場棟。
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水産仲卸売場棟
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外を見ると豪華客船が。
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豊洲は広いですね。こんなに広いとは想像していませんでした。見学客もたくさんで、外国人もよく見かけます。
今は何事もなかったように、物事が進んでいるようです。あのゴタゴタはなんだったのでしょう。




4432号 そのほかの写真

写真を紹介します。

添乗員の守田さんとガイドの岩佐さん。なかなかよく勉強しているガイドさんでした。
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対馬やまねこのはく製。「野生生物保護センター」に展示されています。録音された鳴き声が場内に響き渡ります。すごい声です。猛獣です。
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対馬藩主宗家の墓所。
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この急な階段は132段あり、結構きつい思いをしました。
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対馬には銀を産出する鉱山があり、そのため経済的に恵まれた家がありました。そんな家の大事な穀物や日用品を保管するのがこの建物です。自宅の横に建てないのは、火災を心配してのこと。屋根は地元で産する板石で葺いています。
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五島列島、福江島のガイド城谷さんです。ガイド歴2年で、まだなんと19歳。最初にしゃべりを聞いたとき、もっとゆっくり話した方がいいと感じ、ヒソヒソでアドバイスしました。まだ慣れていないこともあり、質問しても答えられないことがあったのですが、みんなにいじられてはいましたが、天然の明るさで人気者になりました。こちらは14人と少人数で、また午前中だけですから、新人にはちょうどいいと会社が判断したのでしょう。
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私は集合写真を撮るのが好きなので、この時も「集合写真を撮りましょうよ!」と提案しました。添乗員さんが撮ってくれたのがこれですが、いつの場にも集合しない人がいるものです。この凧はバラモン凧で、このあと天に舞い上がりました。
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福江島の朝食、きびなごの刺身が珍味でした。昼は寿司屋でした。
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こんな島(中通島)に坂本龍馬が関係しています。亀山社中の練習船ワイル・ウェフ号が遭難座礁したため、多くの仲間を失ったという事件がありました。
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この竜馬はかなりのイケメンです。当時大河ドラマで福山雅治が主演していたので、ガイドさんが市当局の担当者に「福山さんのイメージで?・・・」と尋ねると、担当者は「坂本龍馬です!」と怒られたとか。
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4431号 五島家

五島列島の南の島、福江島は五島の中心です。

ここに福江藩(ふくえはん)の城がありました。

江戸時代、五島列島全域を治めた藩で、五島藩(ごとうはん)とも呼ばれます。

藩の成立から版籍奉還まで外様大名の五島家が藩主を務めました。

江戸時代初頭に初代五島藩主(五島家としては21代目)から続き、現在は35代目の当主五島典昭氏がお元気です。

ガイドの説明では35代当主は千葉に在住とか、年に何回か福江を訪れ、ここにある庭園など見て回っているそうです。
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「心字が池」です。
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現在は五島氏個人の所有であるため、固定資産税が大変で、市か県に寄贈する話が進んでいるとか。

この石田城の築城は、半世紀かけてやっと幕府より許され、15年2万両かけて造りましたが、出来上がったのがなんと明治維新の5年前でした。

しがって江戸時代最後の築城ということになります。





4430号 壱岐島

この島は正式には壱岐島(いきのしま)と呼びますが、壱岐とだけ言うこともあります。

魏志倭人伝にも「一大國」という名で記され、また他の史書では「一支國」とされています。

壱岐の人は「一支國」(いきこく)という言い方が気に入っているようで、こんな場所でも使っています。

「一支國博物館」で、立っている人は中での説明を担当してくれました。
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魏志倭人伝の説明をしているところ。
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壱岐島は麦焼酎の発祥地だそうで、焼酎工場を見学しました。
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中にはたくさんの酒樽が収められています。
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そしてショップコーナーでは、試飲ができるので、好きな人にはたまりません。端から順番に飲み干していました。

こんな場所へ行きました。「鬼の足跡」
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鬼が来てその足跡だという、玄武岩が陥没した箇所に海水が入り込んでいますが、韓国から流れ込んできたゴミが見受けられます。
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その先にあるのが「牧﨑園地」、一面高麗芝のなだらかなスロープが広がり、どうしてもゴルフがやりたくなります。
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そんな不届き者が来るので、こんな看板を立てています。海に向かって打ち込んだら気持ちがよさそう。
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そして昼飯のレストランは、ウニのお店。
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買いましたね、ウニの瓶詰やイカの一夜干しやらなにやら、クールで送ってもらいました。
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黒崎砲台跡です。戦前のロンドン軍縮会議で日本の一部軍艦が廃艦となり、その軍艦に取り付けられていた主砲をこちらへ移管したのです。
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これが砲台の基礎跡。
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壱岐島には、古代から半島との交流があり、「原の辻遺跡」は海を渡ってくる渡来人のための接待施設、つまりホテルですね。
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渡来人たちは邪馬台国に来たのでしょうか。こんなホテルをどう思ったのでしょうか。


4429号 禁教の島

五島列島はキリシタンの島と言ってもいいでしょう。

現在教会は50か所あり、住民の4人に一人が信者で、19000人います。

すべてカトリックですが、なぜこんなに教会が多いのかというと五島の集落のためです。

五島は山が多く、住民の住む集落は、島内各所に点在しており、行き来するのは大変なのです。

そこで集落ごとに教会を持つようになったのです。



いわゆる「隠れキリシタン」という言い方がありますが、現在は「潜伏キリシタン」と呼んでいます。

「潜伏キリシタン」とは江戸時代の迫害されたキリスト教信者のことをいい、「隠れキリシタン」は現在もキリスト教信者であることを隠して生活している人たち、約30人のことを指すとガイドの説明がありました。


16世紀中ごろ五島の領主の病を、キリシタンの日本人医師ディエゴが治療をしたことから、キリスト教の布教を許したといういきさつがありました。

その後信者は増加しましたが、徳川家康による禁教令が出されると、弾圧が強化されました。

そして一部潜伏したキリシタンが密かに信仰を続けます。

18世紀後半、大村藩からの移住組キリシタンが一番南の島、福江島にやってきました。

五島は大村藩ほど取り締まりが厳しくなかったからだというのです。

潜伏キリシタンは、キリスト教徒であることを悟られないよう、葬式のやりかたも神主が取り仕切り、衣装や葬列は韓国風だったとか。

お祈りする際の手の組み方は、神社にお参りするときと同じように両手を合わせ、親指だけ重ねてわからないようにしたようです。

ウイキペディアより
<明治元年9月29日(1868年11月12日)に久賀島ではキリシタン約200人が松ヶ浦の大開(おおびらき)の牢屋に入れられ、石抱や水責めなどの拷問を受けた。キリシタンたちが収監されたのは、わずか6坪ほどの狭い牢で、死亡者42名(うち、出牢後の死亡者は3名)を出した。

窮屈な牢屋の中は、土間のままで厚い板で中央を区切り男牢と女牢とに区分けされた。押し込められた200人は立錐の余地もなく、せり上がって足が床に着かず、身動きできないまま死んでいき、放置された死体は腐乱してウジが湧いた。牢に入れて3日後には、牢の中央に1本の丸太を入れて片側の人をできるだけ壁に寄せて立たせ、片方の土間に交代で座らせて少しずつ休ませるようになった。与えられた食べ物は朝夕にサツマイモを一切れずつで、ひもじさに泣き狂う子供に顔をかきむしられて血まみれになった母親もいた。体力の無い老人や子供から死んでいき、最初に死んだのは79歳の助市だった。5歳の政五郎は水を求めて「アップ(水)、アップ」と言いながら渇き死にした。>

禁教の250年の間、キリシタンたちは仏教や神道の様式を自然に取り入れたため、明治6年に禁教令が解けた後も、そのころ訪れたフランス神父は、潜伏キリシタンを見て、本来のカトリックとはなにか違うと感じたそうです。

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4428号 「元寇」

「元寇」は「蒙古襲来」「モンゴル襲来」とも言われています。

そして北九州が攻められ・・・「文永の役」「弘安の役」と覚えました。

今思うと、騎馬民族のモンゴルが、船を操り荒海を乗り越えることなんて無理で、戦いの主役は高麗なんだとわかります。

元は全部で6度の使者を送り、誼みを通じるよう要求したにもかかわらず、日本側の態度がはっきりしないまま時が過ぎました。

しびれを切らした皇帝クビライは、属国である高麗に命じ、900艘の軍船を建造させます。

1274年、まず対馬に侵攻します。
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この浜辺、小茂田浜(こもだはま)に蒙古軍が襲来、対馬守護代・宗資国(すけくに)は手勢80騎で約1000人の元軍を迎え撃つのですが、ついに討ち取られ、その体はバラバラ刻まれました。

この付近には資国の「お首塚」や「お胴塚」があります。

そして女子供は、手に穴をあけられ、船のへりに吊るされたのです。

残虐の限りを尽くし、元軍は壱岐に向かいます。

この神社は国難に殉じた人たちの霊を慰めるため創建されました。
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対馬に続き、元軍は壱岐島の西側に上陸[します。

壱岐守護代・平景隆は100余騎で応戦したものの圧倒的兵力差の前に敗れ、翌15日、景隆は樋詰城で自害します。

ウイキペディア
<『高麗史』金方慶伝には、壱岐島での戦闘の模様が以下のように記されている。
元軍が壱岐島に至ると、日本軍は岸上に陣を布いて待ち受けていた。高麗軍の将である朴之亮および金方慶の娘婿の趙卞はこれを蹴散らすと、敗走する日本兵を追った。壱岐島の日本軍は降伏を願い出たが、後になって元軍に攻撃を仕掛けてきた。これに対して蒙古・漢軍の右副都元帥・洪茶丘とともに朴之亮や趙卞ら高麗軍諸将は応戦し、日本兵を1,000余り討ち取ったという。

日蓮は、この時の壱岐の惨状を「壱岐対馬九国の兵並びに男女、多く或は殺され、或は擒(と)らわれ、或は海に入り、或は崖より堕(お)ちし者、幾千万と云ふ事なし」と記している。

対馬、壱岐を侵した後、元軍は肥前沿岸へと向かった。>

弘安の役はその7年後でした。

前回と同じように、対馬・壱岐を攻め、いよいよ九州に向かった戦力は、元・高麗軍合わせて約150000人、4400艘でした。

4427号 宗氏

中世から近世にかけて対馬を支配したのが宗氏。

もとは惟宗(これむね)という苗字だったのが、朝鮮との通商で先方にわかりやすいよう、一字の名前に変えました。

もともと対馬を支配していたのは、阿比留氏でしたが、高麗との貿易を鎌倉幕府に隠れて続けていたことが発覚し、太宰府から宗氏が征伐に向かうことになるのです。

阿比留姓は現在も対馬の最多苗字だそうです。


宗氏は初代宗重尚から現在まで38代(東京在住)も続いています。

宗氏の歴史的事件というと、まずは元寇があります。

元寇については別途書きたいと思います。

もう一つが国書偽造事件です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵が終結しましたが、徳川家康は朝鮮との貿易を重視したため、改めて朝鮮との国交回復が必要と思い、宗義智(よしとし)にその任を与えました。

そのために国書の交換が行われるのですが、問題は家康の謝罪国書をまず要求されたことです。

先に出した方が恭順の意を表するというのがルールだったので、宗義智は困り果てました。

日本側は朝鮮人捕虜の引き渡しや、朝鮮出兵の際の王陵を荒らした戦犯の引き渡しを要求されましたが、実際の犯人ではなく、無関係の人を犯人だと差し出しました。

そこで宗義智は朝鮮の要求に沿う形で、徳川政権の国書を改竄偽造し、朝鮮に示しました。

朝鮮側はなんか変だとは思いつつ、回答国書を書きました。

しかしそのまま幕府に渡しては内容から偽造が露見するので、こちらの国書も改竄して事なきを得ました。

ところが後日、対馬藩の家老の柳川調興が、国書改竄の事実を暴露し幕府に対して訴え出たのです。

家光の前で“裁判”が行われましたが、偽造の張本人の義智の子宗義成は無罪、柳川調興は津軽に流罪となりました。

国書偽造は大罪ですが、朝鮮との貿易を以前のように対馬藩に任せた方が得策との政治的判断からの結論でした。

両国にウィンウィンの雰囲気を醸成させた宗義智の外交センスは、現代の外交にも通じるものがあります。

この辺いきさつは、NHKから2015年に放映されました。
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/239.html


















4426号 わだつみ神社 三柱鳥居

「和多都美神社」は対馬にあります。
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この古い神社は、「ほでりのみこと」と「とよたまひめ」を祀っています。

古事記に登場する海幸彦と山幸彦の有名な話です。

山幸彦(火照命 ほでりのみこと)は、失くした兄の釣り針を探しに海神の宮殿へ行きます。

海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らすうち既に3年もの月日が経ちます。(わだつみの書き方は数種あります)

妻の豊玉姫は子供を産み、それが鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、神武天皇の父になります。
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神社の住所は、対馬市豊玉町なので、話が本物っぽく聞こえますね。

古事記のこの物語は、この辺りから出たのかもしれません。
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対馬の海域は干満の差が2mくらいあるそうで、この神社の海に向かった鳥居の下部が満潮時海中になるといいます。
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私が行ったときは干潮ですっかり潮が引いていました。

ここには「三柱鳥居」(みはしらとりい)があります。ここも満潮時は海になります。
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日本国中、あちらこちらにある珍しい形の鳥居で、三柱の意味を解説した説がいくつかありますがまだ謎です。

これが「三柱鳥居」で、下の岩は豊玉姫のご神体だとか。
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対馬は、白村江の戦や、遣隋使・遣唐使のルートとしても登場し、元寇の戦場、朝鮮出兵、朝鮮通信使、また日露戦争の要衝となりました。

歴史の宝庫です。

4425号 国境の島

日本は海に囲まれていて、国境の意識が薄いのです。

対馬に行くと「国境の島」とよく書かれています。

隣は韓国、釜山まで50kmしかありません。

もしもの・・時は、対馬が防衛線になるのです。

最北端の岬には「韓国展望所」というのがあります。
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済州島よりも韓国に近いので、韓国から観光客がたくさん来ています。

釜山から高速船で1時間で着き、料金も3000円程度で、日帰りが十分可能です。

最近は日韓のゴタゴタで、以前は8割が韓国からの客でしたが、現在は激減しています。

観光業や飲食店は困っていますが、しかしそれを喜んでいる人が半分はいるそうです。

特に仏像を盗まれたお寺や神社など、韓国人観光客が来ないことに歓迎で、あと韓国人のマナーの問題や、海に押し寄せる韓国からのゴミ、そして密漁。

観光で成り立っているとはいえ、問題はあるわけです。

街じゅうの看板や掲示にハングルが併記されていて、まさに国境の島であることがわかります。
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このハングルはこう書かれています(詳しい人に取材)
「トイレはきれいに使ってください。紙は流しても詰まりませんよ~♥」だって。

信じられないことですが、韓国の普通のトイレは、紙が流せないのでゴミ箱に入れるそうです(ブラジルも昔はそうでした)。

対馬の中学校の修学旅行は、本土より韓国へ行く方が多いのだそうです。

対馬は南北82km、東西18kmの細長い島です。
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対馬はリアス式海岸の部分で南北を分かれています。

昔、船で東西を行き来するときは、グルっと大回りしなくてはなりませんでした。

明治時代、ここの狭い箇所に海軍が開削工事を行い、東側と西側をつなぐ水路を開きました。

もちろん軍事的な意味があったのは言うまでもありません。

1905年に起きた日露戦争の日本海海戦では、水雷艇部隊がここを通って出撃しました。

これは現代の水路と橋。
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対馬は北半分の地域と南半分とに分かれていて、北は朝鮮文化が主流で、南は九州に影響され、文化や住民の気質も少し違っているとか。

対馬や壱岐は長崎県ですが、住民の意識は福岡県で、かつて長崎が嫌で福岡県になりたいと運動がありましたが、実現はしませんでした。


4424号 おひとり様限定旅行

・・・というツアーに参加しました。

行先は対馬・壱岐・五島列島で9月10日から14日までというもの。

全員高齢者で男7女7の14名、東京から5名、大阪から6名、名古屋が3名で、福岡空港集合です。

高齢者だけにそれぞれ一家言を持っており、言葉を変えていえば皆ガンコです。

また食べ物にうるさいのです。

高齢者ばかりでどうなるのかと案じていましたが、道中の彼ら彼女らの話を聞いて驚きました。

世界中を飛び回って、もう行くところがなくなったような人が多いのです。

最年長は大阪から来た88歳のおばあちゃん。

海外旅行は140回、訪れた国は100か国以上。

イエメンがどうだとか、チベットの寺がどうだとか、ナミビアではチップをどうしたとか・・・。

日本国内ももちろん訪れていて、たまたまテレビで地方の景色を映していましたが、「あぁここ行ったよ、このSLにも乗った」とこともなげに言います。

国数ではこのおばあちゃんより多い男性もいて、もう話は世界の果てといっては失礼ですが、アフリカの小さな国や、南米の先端から南極へ一人で行ったとか、ギアナ高地へも船をチャーターして英語が通じなくて困ったとか、もう私などついていけません。

そんな人たちが選んだこの地味なコースは一体何なのでしょう。

旅行慣れしている人たちなので、添乗員は楽をしたと思っています。

そしてブログをどう書こうかですが、旅行記としてのブログでは面白くないので、少しポイントを絞って書いてみたいと思っています。


4423号 素朴な疑問

1.新幹線に乗るとスタートが実にスムーズに出発するのに驚く。普通の電車も最近は静かに発車し、速度を上げていく。車はギアチェンジが必要なのに電車はなぜ要らないの?

2.京アニ放火犯の治療費用は誰が払うの?

3.アパホテルのCMに女社長の写真が出てるのはなぜ?

4.太陽のすぐそばを回っている彗星はどうして太陽に落ちないの?

5.子供のころお風呂で「肩までつかりなさい」と厳しく言われたのに、テレビの温泉番組の女性入浴シーンでは、必ず肩を出しているのはどうして?

6.欧米の映画やテレビで、災難からようやく逃げられたケガだらけの男が、心配していた彼女に出会うとすぐにキスするのはなんで?

7.水族館の大きな魚は小さな魚を食べないの?

8.韓国の人は語頭の濁音を言えない(だいとうりょう→たいとうりょう)のはなぜ? 言葉の途中なら言えるのに。





4422号 松方幸次郎

松方コレクションの作品を蒐集した松方幸次郎は、明治維新の2年前、薩摩の国で生まれました。

父は後の6代内閣総理大臣の松方正義で、彼は三男でした。

川崎造船の初代社長となり、その後絵画のコレクターとなります。

数々の名画を集めるだけの資金はどうして持てたのかというのが疑問ですが、こういう理由がありました。

造船業は受注してから船を造るのが通常ですが、第一次大戦の世界情勢を見て「これからは船が必要になる」という見通しを持ち、見込み建造をした結果、船をすぐにでも必要とされる国に高値で売ることができました。

その莫大な利益をコレクションにつぎ込んだのです。

その後大戦が終結すると、在庫過剰状態となり、会社は傾きます。

そのため集めた絵画をいくつも売却せざるを得ませんでした。

また一部の作品は、保管していた倉庫の火災で失われました。

第二次世界大戦末期には、フランス政府に「敵国人財産」として接収されることになります。

その作品が戻り(返還の形式はとらず寄贈)、その作品を受け入れるため作られたのが現在の「国立西洋美術館」です。

松方幸次郎は1950年、84年の波乱に満ちた人生を閉じました。







4421号 ロス・コンパニェロスinアリア

1年に一度呼ばれるのは、明大前からちょっと歩いて行ける、高級老人ホーム「アリア松原」です。

今年は9月8日の日曜日で、施設では「夏祭り」が開催されていました。

音楽関係では、私たちのほか、東大のハワイアンダンスや、青学のマンドリンサークルの女子が演奏しました。

入居者のみなさんと歌える歌を選んでおきました。

「鐘の鳴る丘」という高齢者しか知らない歌です。

私は一番しか覚えていないので、歌詞カードが見せてくれました(笑)。
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3階から始まって各階を訪れます。途中、車いすのおばあちゃんがリクエストというので、廊下でお聞かせしました。「あの方はどういう?」とスタッフに聞くと、「誰でも知っている・・・VIPの方です」と答えました。
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先方のスタッフが次はこちらへと連行(笑)してくれるので、後についていくだけです。
この部屋の方はさる有名な写真家の部屋です。
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予定をすべて消化し、帰ろうと1Fに降りると、「施設のHPに載せる写真をと・・」
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途中で外は雨でしたが、帰るころには強い日差しの松原でした。
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このあと恒例の打ち上げです。

<おまけ>青学のマンドリン
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4420号 迎賓館見学

迎賓館赤坂離宮は、かつて紀州徳川家の中屋敷があった広大な敷地に、10年かけて建設し、1909年に完成しました。

大正天皇の皇太子時代の居所、「東宮御所」となり、その後赤坂離宮となりました。

明治時代の建築家、片山東能の総指揮により、当時の一流建築家や美術工芸家を集め建設しました。

戦後、赤坂離宮は5年をかけて改修され迎賓館となりました。

その後2009年さらに改修され、現在は外国賓客の接受に使用されています。

全館が国宝です。

入館するにはセキュリティーチェックがあります。
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飛行機に乗るのと同じチェックがあります。

ペットボトルは「中身を一口飲んでください」と言われます。

内部の撮影は禁止です。

いたるところに警備員が立っています。

部屋は「花鳥の間」「羽衣の間」「彩鸞の間」そして「朝日の間」に分かれています。

どこも触れてはいけないのですが、唯一例外が通路階段の手すりです(笑、階段の壁は禁止です)

各部屋には説明員が立っています。

最初の「花鳥の間」の説明員にいろいろ聞いてみました。

「建設費と中の美術品などはいくらかかったのですか?」

「いい質問です。当時お米10キロが1円だったのですが、総工費は500数十万円でした。いまと物価や貨幣価値が異なるので現在の金額は何とも言えませんが・・・」

「大体数千億円とみていいですね」

内部の装飾美術工芸など、目を見張るものがありました。

「朝日の間」では天井画がギリシャ神話的な絵が描かれていました。

説明員は「曙の女神です」というので、「あれはギリシャ神話ですか?」と聞くと答えられませんでした。


内部は写真が撮れないので、入口でもらうパンフレットの写真を複写しました。
「花鳥の間」
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「羽衣の間」
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「彩鸞の間」
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「朝日の間」
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これが天井画。
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館内を見て外に出ました。
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建物のうしろが主庭です。
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出口は正面ゲートの方へ行きます。
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贅を尽くした迎賓館で、無駄遣いと批判する人もいるでしょうが、贅沢無駄遣いこそ文化の源泉なのです。