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≪昨日の風、今日の風≫
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橋本吉彦のブログです。
昔の思い出、趣味のラテン音楽、ゴルフや映画や落語、そして日々思うことや感じたことを書き綴ってみたいと思います。

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4241号 今月のロス・コンパニェロス

2019/03/23 10:04
趣味も、生活の習慣も、人生観も、それぞれ異なる4人ですが、この音楽という共通の点でまとまっているのが私たちロス・コンパニェロスです。

3月から活動が始まりました。

下北沢の「TEPITO」は、奇数月の第三水曜日に出演しているのですが、今月は追加で“お座敷”がありました。

張替さんの関係で誰だったのでしょう(笑)、友人?、知り合い?とかいう理由で、特別に一席もうけたということになりました。

「TEPITO」は、私たちが呼ばれる先としては、どちらかというと“きつい職場”です。

レストランですから、特別音楽を聴きたいというお客ばかりではありません。

ライブをやっているミュージシャンなら経験があろうかと思いますが、不思議なもので、お客がちゃんと聴いてくれる時は、音が吸い込まれていくのです。

そうではない場合、どうも歌いにくいということになります。


数多くの出演先で、名前は控えますが、私たちが「一番いい」という場所があります。

要点は、「聴きに来てくれるお客」が集まっている場所です。

HOTコロッケはもともとそういうお店なので、あまり感じないでしょうが、聞きに来たわけではないというお客のいる場所では、やりにくさがどうしても残ります。

来月早々、毎年呼ばれている足立区の瑞応寺さんでの出演です。

7日ではもう桜も散ってしまっているでしょう。




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4240号 映画「ナポリの隣人」

2019/03/22 10:44
ナポリと言えば、イタリアの観光地として人気の都市ですが、映画に映し出されるのは、バイクが人ごみの中を失踪したり、道路で子供がボールをけり合ったり、雑踏と石畳の道路です。

そしてアフリカからの移民。

原題は「La Tenerezza」(優しさ)

普段は邦題がよくないとコメントする私ですが、この映画「優しさ」はどうかなと思います。


http://www.zaziefilms.com/napoli/


<南イタリア、ナポリ。リタイアし、かつて家族と暮らしたアパートに独り暮らす元弁護士のロレンツォ。

娘のエレナはアラビア語の法廷通訳で生計を立てるシングルマザー。

母の死の原因が父の裏切りによるもの、と信じ、父を許せないでいた。

気難しいところのあるロレンツォだが、向いの家に引っ越してきた若い夫婦ファビオとミケーラ、二人の子どもたちと親しくなり、お互いの家を行き来し合う疑似家族のような関係になる。

しかしその平穏な日々は、幸せに見えた一家に起こった思いがけない事件で、突然幕を閉じることになる。

その時、ロレンツォは?実の娘エレナは?二人に和解の道はあるのか?>

もうすこし何とかならないかと思ってしまう、ガンコじじいの主人公。

孤独な生活。

あちこちで問題を起こす問題じーさん。

日本でもすでに存在する、高齢者の生活がそこにあります。

最後に父娘の和解があるので「優しさ」というタイトルなのでしょうか、「隣人」の方が良かったと私は思います。

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4239号 推定無罪

2019/03/21 10:35
日本国憲法第31条

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。


有罪判決が確定するまでは、誰でも犯罪者として取り扱われない権利を有するという意味です。

為政者の勝手な判断で、多くの犠牲者があった人類の長い歴史の中で、やっと獲得した権利なのです。

しかし被害者から見れば、「犯人が捕まってよかった、でも殺された人は還らない」と裁判を待たずに結論を出します。

その気持ちは痛いほどわかりますね。


冤罪が皆無とは言えないのですが、我が国では、検挙された人のほとんどが有罪となります。

メディアではよく「有罪判決が出るまでは推定無罪だから・・」というコメントがあります。

この推定無罪の論理を、特に政治的な事案の場合、恣意的に論評する傾向がメディアにはあり、自分の主義主張に合致している被告に対しては、「推定無罪なのだから」と擁護し、犯罪者と見ることに批判的な傾向が見られます。

一方では、容疑者として逮捕された“犯人でないかもしれない”人に対しては、初めから犯罪者として扱う傾向があります。

最近のピエール瀧事件では、捕まっただけでライブの中止や、ドラマの作り直しが行われ、完全にアウトです。

推定無罪なら、判決で有罪となるまでは、ドラマに出てもいいということになるのですが、実際は厳しい対応となります。

推定無罪は、実際は「無罪の推定」( presumption of innocence)であって、ニュアンスが少し異なります。


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4238号 昭和は遠くなりにけり(129) ラムネ

2019/03/20 10:02
ラムネはいつごろからあるのでしょうか。

子供のころ近くのお店で、たしか5円だったと思いますが、おばちゃんにブシュー!と開けてもらったことを覚えています。
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ウィキペディアにはこう書かれています。

<ラムネという名称は、イギリスからもたらされたレモネードが転訛したもの。
独特な瓶の意匠もこのとき同時に持ち込まれたもので、明治初期に神戸旧居留地のシム商会が日本で初めて製造と販売を行なった。
明治5年5月4日(1872年6月9日)には、日本人に初めてラムネ製造の許可が下り、のちに5月4日は「ラムネの日」となった。>

ラムネ瓶の特徴はあの栓となっているガラス玉です。

子供のころどうして栓ができるのか、不思議に思われました。

あのガラス玉は、ラムネの炭酸ガスの圧力で上に押し上げられ、栓の役割をしているのです。

栓がプシューと開けられ、飲み終わると工場に戻され、再利用されます。
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NHKの「歴史秘話ヒストリア」(軍艦・呉と戦艦大和)でも、ラムネのことを伝えていました。

当時の日本では、ラムネが大変人気で、戦艦大和の中にもラムネ製造機が設置されていたとのことです。


なおラムネは、「中小企業分野調整法」に基づき、中小企業だけが独占的に生産して、大企業は製造に参入できないとのことです。




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4237号 初ゴルフ

2019/03/19 10:22
1,2月は寒いので控えていました。

3月に一度予約を入れたのですが、あいにくの雨でキャンセル。

次は中学時代の仲間との定例コンペで、3月15日(金)に開催されました。

場所は3回目の「霞ヶ浦国際」です。

ここのゴルフ場は、カートのフェアウエイ乗り入れが出来るので、高齢者にはありがたいのです。
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梅の花が満開です。桜はまだ先でしょう。
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ティイングエリアの脇にある看板で、このホールの概要がわかります。(特に意味がある写真ではありません。たまたま撮影してものです)
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INの11番のショートです。なかなかワンオンしな難しいショートです。池に入れると先進4打(これもつらい!)
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私は今年初めてのラウンドでした。

練習場へは3月に入り2回だけ行きました。

女子ゴルフもすでに開催され、さあこれから私のシーズン開始になります。



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4236号 にんべんの切手

2019/03/18 10:36
世界で初の商品券は、「にんべん」の商品券だそうです。

鰹節の老舗「にんべん」は今でも日本橋に店があります。

元禄12年(1699)創業したこの店は、代々続き、天保年間にはタイトルの「切手」を考案しました。

当初は銀製のものでした。
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その後紙に変わりましたが、この「にんべんの切手」が登場する落語があります。

「山崎屋」という演目で、吉原の花魁を妻にしたいという若旦那に、番頭が知恵を出して首尾よく花嫁を迎えることが出来たという噺です。

この途中、花魁を身請けした上、一旦鳶頭(かしら)に預けて、この花魁はおかみさんの妹で御殿女中をしていたということにします。

若旦那が売掛金回収の百両を、わざと頭の家に置いておき、落としたことにします。

落としたことを責める父親のところへ「拾いました」と頭が届けに来ます。

もちろん筋書き通りのことです。

店の主人(父親)が頭にお礼に行く際、持って行くのが十両の目録とにんべんの切手です。

頭は十両は受け取らず、「切手だけ頂戴します」と言います。

主人はお茶を持って出てきた「御殿女中」をすっかり気に入ってしまい、息子の嫁にという結果となり、メデタシメデタシです。



ところで「にんべん」という社名はどうして出来たかというと、

<1705年(宝永2年)初代伊兵衛は、店の屋号を「伊勢屋伊兵衛」とし、暖簾印(商標)に伊勢屋と伊兵衛のイ(にんべん)をとり、商売を堅実にするためのお金(かね)と合わせて、「カネにんべん」としました。江戸の町民たちは、「伊勢屋」のかわりに、誰いうとなく「にんべん」と呼ぶようになりました。にんべんの社名は、江戸町民によって命名されたものです。>

と「にんべん」のHPにありましたので紹介しました。


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4235号 ストックホルム症候群

2019/03/17 10:32
誘拐事件などの映画でよくあるのですが、犯罪者やテロリストが被害者を監禁します。

そして監禁した部屋に犯人が出入りします。

食事や飲み物も持ってきます。

会話も交わすのでしょう。

そんな状況が数日以上続いて行くと、不思議な現象が被害者に起きます。


1973年8月、ストックホルムで銀行強盗人質立てこもり事件が発生しました。

犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが、後の捜査で判明したのです。

また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったとされます。

この問題を調査した心理学者は次のように分析しました。

<人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。
そして、死ぬかもしれないと覚悟する。
犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。
犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。
そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。
犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。
犯人も人質に対する見方を変える。>


1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」でも、乗客と犯人に奇妙な連帯感が生まれたとされています。

これは犯人に支配された恐怖の感情から、自らの生命を守るためにとる「欺瞞的な行動」と説明されます。

被害者が犯人との間に心理的なつながりを築くことで、殺されないよう戦略としてそうした行動を取るのです。


これとは逆に、監禁している犯人の方が、被害者に同情的になるという現象があります。

96年から97年にかけてペルーのリマで、日本大使公邸占拠事件がありました。

このとき武装した一団は、各国の駐ペルー特命全権大使、日本企業のペルー駐在員ら約600人を人質にしました。

しかし監禁者の一団は人質に同情し、数時間以内に200人以上の人質を解放したのです。

こちらは「リマ症候群」と呼ばれています。

人間とは不思議なものです。


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4234号 姓と名、どちらが先

2019/03/16 10:39
いま興味を持っているのは、名字と名、姓名の順番です。

日本人や中国、韓国は姓が先で名が後に来ます。

欧米は名が先ですね。

では世界ではどうなっているのでしょう。

ざっと見ると、名が先の国がほとんどです。

名しかない国が結構あるので、日本人にとってはちょっと驚きです。

姓が先の国を探しました。

上の3国のほか、モンゴールとベトナムが姓が先です。

ベトナム語は古来中国語から派生しているので、そうなっているとのことです。

そしてシンガポールの華僑は中国系ですから姓が先です。

中東やアフリカは名が先です。

ヨーロッパは名が先ですが、唯一ハンガリーが姓が先という珍しい例でした。

父母や祖父の名前を入れたり、親と同じ姓を使わないで、別の姓をつける子がいるという国もあります。


次に住所でも同じ疑問があります。

姓を先に書く国の住所は、国名、県とか省などに始まり、だんだん番地とか細かい部分に移って行きます。

欧米では部屋番号や番地から始まり、最後に国名を書きます。

サンパウロの会社事務所で、ブラジル人に説明したことがあります。

「国名から、つまり広いところから狭いところへと記載する方がわかりやすいだろう?」

と説得しましたが相手は理解できません、当然ですよね、習慣なのですから。

こちらの方(住所の書き方)も世界ではどうなっているか、調べてみたいと思います。

するとなんと姓を先にする国は、住所も国名からだんだん小さくなるということがわかりました。

ハンガリーは日本や中国と同じです(ビックリ!)。

姓名と住所という両者には、なにか関係がありそうですね。



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4233号 映画「バハールの涙」

2019/03/15 10:26
この映画はマイナーです。

しかし近日上映情報を見て、興味が湧きました。

クルド人とISといえば、つい最近まで激しい戦闘地でしたから、そんな映画が出来たのなら観てみたいと思ったのです。

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<クルド人の女性で弁護士のバハールは、イラクのクルド人自治区内にある故郷の町で夫と息子と共に幸せに暮らしていた。
ある日、町がIS(イスラミックステート)の襲撃を受け、夫を始め男性が皆殺しにされ、息子を戦闘要員として育成するために連れ去られ、自身もISの幹部に性奴隷として売り飛ばされてしまう。

やがて命からがら逃げ出したバハールは息子を必ず取り戻すことを決意、同じ被害に遭った女性を集めて女性だけの戦闘部隊「太陽の女たち」を結成、ISとの闘いに身を投じていく。
やがて彼女たちは、「女に殺された者は天国に行けない」と信じるISの戦闘員たちに恐れられる存在となっていく。

ある日、バハールは片眼の白人女性と出逢う。
彼女はフランス人の女性ジャーナリスト・マチルド。
彼女も戦場で夫を亡くし、自身も片眼を失っていた。
また、愛娘を本国に残して、PTSDに苛まれながらも取材を続けていた。
マチルドは早速バハールたちに興味を持ち、命がけで密着取材を行う。
似たような境遇の2人はやがて、固い友情で結ばれていく。>


女性戦闘部隊というイメージだと、アメリカ映画のアクションものを想像してしまうが、とんでもない。

実際に中東で繰り広げられたであろう戦闘の、映画に映しだされる映像のあまりの生々しさに、恐怖すら感じるのです。


http://bahar-movie.com/


観終わって、平和な日本に住んでいてよかったのだと、改めて思うのです。


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4232号 お茶を飲む

2019/03/14 10:41
日本茶をよく飲みます。

とはいえ、その飲み方は巷間正しいと言われているような、丁寧な淹れ方ではありません。

一番多く飲むのは、抹茶入り粉末の「おーいお茶」です。
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静岡の友人が送ってくれるお茶は、ちゃんと淹れないといけませんね。

急須と湯呑みを温めて、お湯は何度に冷まして、お湯を注いだら何分待って・・・とか作業が煩雑です。

カバカバ飲む輩にとっては、この作法は面倒です。

それに個人的には、暑いお茶が飲みたい派なので、冷ましたのはあっという間に飲んでしまいがちで嫌です。


最近やっているのは、大きめの湯呑みに直接お茶の葉を入れ、お湯をそそぎます。

すると上の方に、まだ水分のしみこんでいない茶葉が浮いてきます。

それを「フー!」と吹いて、あっち側に寄せ、戻らないうちにこっちの方から飲みます。

口の中にどうしても茶葉が入りますが、構わず食べてしまいます。

しばらくすると、茶葉が沈んできて、大分飲みやすくはなります。

あらかた飲んでいくと、底の方に貼りついた茶葉が見えます。

これを流しに持って行き捨てます。


こっち側に浮いている茶葉をあっちにやる方法で思い出すのは、ブラジルの中国人の店で出されるお茶。

出される茶器にはフタがついていて、飲むときはフタを少しずらして隙間を作り、その隙に中のお茶をすするのです。

あまり優雅な飲み方ではないのですが、古代中国の宮廷ドラマでもそうやってましたから、あながち下品ということではなさそうです。

茶道のお茶もいいのですが、ガバガバ派にはちょっと物足りないと感じるのです。


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4231号 ヤマトヒメノミコト

2019/03/13 10:16
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は、第11代垂仁天皇の第4皇女として古事記に登場します。

天照大神をお祀りすることになり、ヤマトヒメノミコトは場所を決めるよう命じられますが、場所探しに難儀をします。

まず大和の国を発って、最初伊賀で決めたのですが、そこではなぜか天照大神が落ち着かず、その後近江→美濃へ移しますが、やはり安らかなお住まいにはなりません。

最期に伊勢に入られて、やっと落ち着くことになるのです。

そこに皇大神宮をご創設し、現在の伊勢神宮となったとされます。


古事記にもう一度登場するのは、ヤマトタケルとの話です。

ヤマトタケルにとって、ヤマトヒメノミコトは叔母さんに当たります。

父は12代景行天皇ですが、どうも折り合いが悪く、天皇は九州のクマソ征伐を命じます。

やっと使命を果たし大和に帰ってくると、日も置かずに今度は東へ行けと言うのです。

東へ向かう前に伊勢に寄り、叔母さんのヤマトヒメノミコトに会います。

久しぶりに会った叔母さんに、ヤマトタケルは思いのたけを吐露します。

「天皇は私に、死ねと言っているのはどうしてでしょうか・・・?」と嘆きます。

ヤマトヒメノミコトは、ここでヤマトタケルに渡したものがありました。

クサナギノツルギ(草薙剣)です。

アメノムラクモノツルギ(天叢雲剣)とも言われる三種の神器のひとつですね。

この剣がいずれ焼津でヤマトタケルの命を救うことになるのです。




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4230号 あれから8年

2019/03/12 10:12
東日本大震災から昨日で、8年が過ぎた。

世界中を震撼させた災害であった。

日本のテレビ報道が抑制された映像だったのに対し、CNNの映像は今でも覚えている。

あの映像は以来一度も放映されていない。



あの震災に際し、米原子力空母「ロナルド・レーガン」が急きょ駆け付けた。

そのことについて、いろいろな説があった。

私が米空母が来たことを知ったとき、最初に思ったのは「この災害に乗じて日本をどうにかしようとする輩から守ろうとしているのでは」だった。

別のことを言う講演会があった。

「あれは人工地震だった。ニュージーランドで実験し、うまく出来たので同じ島国の日本でやってみた。しかし原発までやられるとは予想していなかった。人工地震がばれないようにすぐに空母を派遣した。」というもの。


とんでもないと思うが、昨年のいまごろのブログに書いたことを再掲載したい。

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2018年3月10日 3964号


2011年3月11日、米原子力空母「ロナルド・レーガン」は、米韓合同演習のために日本から1300キロ離れた西太平洋を韓国に向けて航行中だった。

空母の艦長、トム・バークは、たまたま観ていたCNNの画像にくぎ付けになった。

そこには大津波でメチャメチャになった日本の光景が映し出されていたからである。

彼はすぐにに決断した。

「日本へ行こう」

そしてロナルド・レーガンを中核とする部隊の司令官だったロバート・ギリアに連絡した。

「日本の被災地の周辺海域に向かうべきだと考えますが、どうですか」

するとギリアから「よし行こう」との返事が返ってきた。

13日朝、仙台沖に到着した。

同日中に早くも艦内で自衛隊側との調整会議が開かれ、ヘリによる物資の運搬、捜索・救出に加えて自衛隊ヘリへの給油も始まった。

これを後追いするように、日本への急行と、人道支援活動の正式な命令が、第七艦隊司令部から出たのは翌14日だった。

バーク艦長とギリア司令官の判断と行動は、軍組織ではまれな「独断専行」だったのだ。


ところがその後原発事故の情報が流れた。

躊躇する将兵を鼓舞するため、艦長は「私も輸送に加わる」と、空母のことは副長に任せて,自らヘリを操縦して被災地救援活動の最前線に赴いた。


これは艦長が海自幹部に伝えたことだが、ヘリコプターで被災地に物資を輸送して驚いたそうだ。

というのは、多くの場所にはヘリの着陸場所を示す「H」の文字があり、ヘリが着陸するまで人々が静かに待っててくれたからだという。

そして、食糧などの支援物資を渡すときちんと礼をいい、さらに何がほしいかと聞くと、「自分のところはいいからどこそこに物資を持っていってくれ」と言われたという。

これに感動したと。

世界中の被災地や紛争地では、ヘリによる物資の輸送は常に危険が伴う。

というのは避難民が殺到して物資の奪い合いになるからだ。

だから着陸しないで低空で投げおろすことが普通なのだそうだ。

ところが日本ではきちんと待ってくれて、お礼をいってくれて、そのうえ、よその避難民のことを心配していたと。

「本当に日本が好きになった。仕事をさせてもらってこんな光栄なことはない」と艦長は言ったそうだ。

日本人にとってあたりまえの助け合いに外国人は胸を揺さぶられた。


艦長の独断行動が、あの「トモダチ作戦」のきっかけとなった。

艦長だったトム・バークの祖父は、キューバ危機の時の作戦部長アレー・バーク海軍大将だった。



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4229号 キャサリン・ジョンソン

2019/03/11 10:12
2015年11月 24日ホワイトハウスで、オバマ大統領から勲章をつけてもらった老人女性がいた。
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米航空宇宙局(NASA)のラングレー研究所に勤め、1969年に月面に着陸したアポロ飛行の計算を手掛けた数学の天才、キャサリン・ジョンソン女史である。
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映画「ドリーム」の主役のモデルともなった、アフリカ系アメリカ人だ。

60年代は黒人差別の激しかった時代である。

職員の食堂はもちろん、トイレ、水飲み場、そして仕事をする部屋まで分けられていた。

彼女たちはヒューマン・コンピューターと呼ばれていた。

キャサリン・ジョンソンは、自分の計算していることが、なんのためなのか知りたがった。

そのため会議に出させてほしいと要求したが、答えは「女の子は会議にはでないものだ」

彼女は何度も食い下がり、やがて熱意が認められ、会議に出られるようになった。
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62年にアメリカ初の地球周回軌道を飛行した、宇宙飛行士のジョン・グレンは、彼女に絶大な信頼を置いており、コンピュータ化された計算後も、彼女に検算してもらうよう主張したという。

「あの女の子を呼んで、数字を確認させてくれ」

彼女は1日半かけて再計算し、コンピュータの計算が間違いながないことを確認した。

グレンは「彼女がこの計算で合っているというなら、喜んで飛ぼう」と、「フレンドシップ7」で宇宙へ飛び立った。


オバマ大統領からもらった勲章は、大統領自由勲章というものだった。

彼女は昨年100歳を迎えた。

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4228号 落語 阿武松(おうのまつ)

2019/03/10 10:50
阿武松緑之助は、江戸時代の第6代横綱です。

1791年に能登国で生まれ、実家は農家で馬子でした。

江戸で武隈文左衛門に弟子入りして「小車」と名乗り、その後錣山喜平次の弟子となり、とんとん拍子に出世し、横綱になります。

親方を変えたと書きましたが、その事情を落語では「飯の食いすぎ」として噺が出来ています。



<京橋観世新道に住む武隈文右衛門という幕内関取の所に、名主の紹介状を持って入門してきた若者がある。

能登国鳳至(ふげし)郡鵜川村字七海の在で、百姓仁兵衛のせがれ長吉、年は二十五。

なかなか骨格がいいので、小車というしこ名を与えたが、この男、酒も博打も女もやらない堅物なのはいいが、人間離れした大食い。

朝、赤ん坊の頭ほどの握り飯を十七、八個ペロリとやった後、それから本番。

おかみさんが三十八杯まで勘定したが、あとはなにがなんだかわからなくなり、寒けがしてやめたほど。

こんなやつを飼っていた日には、食いつぶされてしまうから追い出してくれと、おかみさんに迫られ、武隈も「わりゃあ相撲取りにはなれねえから、あきらめて国に帰れ」と、一分やって追い出してしまった。

小車、とぼとぼ板橋の先の戸田川の堤までやってくると、面目なくて郷里には帰れないから、この一分で好きな飯を思い切り食った後、明日身を投げて死のうと心決める。

それから板橋平尾宿の橘家善兵衛という旅籠に泊まり、一期の思い出に食うわ食うわ。

おひつを三度取り換え、六升飯を食ってもまだ終わらない。

面白い客だというので主人の善兵衛が応対し、事情を聞いてみると、これこれこういうわけと知れる。

善兵衛は同情し、家は自作農も営んでいるので、どんな不作な年でも二百俵からの米は入るから、おまえさんにこれから月に五斗俵二俵仕送りすると約束、ひいきの根津七軒町、錣山(しころやま)喜平次という関取に紹介する。

小車を一目見るなり惚れ込んでうなるばかりの綴山、武隈関は考え違いをしている、相撲取りが飯を食わないではどうにもならない、一日一俵ずつでも食わせると、善兵衛の仕送りを断り、改めて、自分の前相撲時代の小緑というしこ名を与えた。

奮起した小緑、百日たたないうちに番付を六十枚以上飛び越すスピード出世。

文政五年蔵前八幡の大相撲で小柳長吉と改め入幕を果たし、その四日目、おマンマの仇、武隈と顔が合う。

その相撲が長州公の目にとまって召し抱えとなり、のち、第六代横綱・阿武松緑之助と出世を遂げるという一席。>



善兵衛が大食いの青年を見て、面白い客だと興味を持ち、「いくら食ってもいい」と言うやさしさが噺を聞いている人にも安心感を与えるのです。

https://www.youtube.com/watch?v=JHqAfB5Pim4



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4227号 食事が合わない

2019/03/09 10:40
ロス・コンパニェロスの打ち上げは、大体和食になります。

和食派の意見が通ってしまうためでもあります。

先日のこと。

「ベルギーレストランが神田にあるから行こう」と提案があっても、絶対嫌だという反対意見が出ました。

もちろん私はさまざまな料理を食べたい派です。


それで思い出しましたが、昔エジプトへ行った時のことでした。

まぁエジプトですから、日本人にとっては特殊な、いわゆる西洋料理とは異なりますね。

ウチの夫婦はなんでも食べてしまうので、結構エジプト料理を楽しめました。

ツアーの中にファミリーがいて、途中でツアーを切り上げて帰国してしまいました。

その理由が、エジプトの食事がどうも合わないということでした。

その後シナイ半島の砂漠近くのレストランでの食事でした。

真っ黒い魚が出てきました。

当然油で揚げてありましたが、見かけとは全然違って、いい味をしていました。

見栄えの悪い魚のため、ツアーの人たちで食べられた人はほんの少し。


アマゾンのレストランでは、長さが1mくらいのバカでかい魚を、店員が肩に担いでテーブルまで見せに来ました。

「今からこれを料理します!」と、これはパフォーマンスサービスですね。

一緒にいた日本からの出張者は、そのおそろしげな魚相を見ただけで、食欲を無くしてしまったようです。

ピラニアも食べましたが、結構おいしいのです。

魚は見かけで判断しては・・・です。




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4226号 複製ミス

2019/03/08 10:34
インフルエンザウイルスは、ウイルスを構成するタンパク質の種類の違いから、A型、B型、C型と3つに分かれています。

人間に感染して大流行の原因となるのは、A型とB型です。

C型も感染するのですが、症状が軽いため問題視されないようです。

私たちは毎年インフルエンザワクチンを打ってもらいます。

そのワクチンが毎年新しくなるのですが、なぜなのでしょうか?

その答えはなかなか興味深いものがあります。


ウイルスが細胞に取り付いて増殖しますが、その際遺伝物質(RNA)の複製ミスが生じるのです。

ウイルスには、その複製ミスを修復する機能がなく、いわゆる突然変異が起き、別のウイルスになってしまいます。

そのため昨年のウイルスに対する免疫が体内に作られても、翌年には役に立たなくなります。


ウイルスが毎年変化するのは複製ミスによるものですが、複製ミスというと「がん細胞」を思い出します。

以前の情報ですが、人体は60兆個の細胞でできています。

その細胞の内、8000億個が毎日複製されています。

ところがこの中の数億個の細胞が複製ミスを起こします。

8000億個すべてがうまくコピーできないということです。

人間の細胞は“自殺機能”(アポトーシス)があり、「出来そこない細胞」の大部分は死滅しますが、5000個程度が生き残ります。

その生き残りも、免疫細胞にやっつけられますが、それでも生き延びるものがあります。

それがガン細胞なのです。


複製ミスはいろんな問題を起こしますね。


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4225号 隅田川の橋

2019/03/07 10:26
隅田川は、東京都北区の岩淵水門で荒川から分岐し、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川です。

古くは墨田川、角田川とも書いたそうです。

落語では「大川」と呼んでいます。

隅田川には、江戸時代には海苔が取れました。

浅草海苔ですね。

そして明治時代には、隅田川の浜町河岸で水泳をしていたのです。

白魚やウナギなども取れました。


隅田川にはたくさんの橋が架かっています。

現在は19の橋がありますが、一番古いのは「千住大橋」(文禄3年 1594)だそうです。

次が「両国橋」(万治2年 1659)、そして「新大橋」(元禄6年 1663)、「永代橋」(元禄11年1668)、「大川橋」(安永3年 1774)はその後「東橋」から「吾妻橋」と名称を変えました。

元禄15年12月、赤穂浪士が吉良邸から引き揚げ、泉岳寺に向かう際、永代橋を渡ったとされていますが、出来て間のない橋だったのですね。

ここまでが江戸時代に造られた橋で、明治になると「厩橋」(明治7年1874)、大正になり「白鬚橋」(大正3年1914)が出来ます。

昭和になると「駒形橋」(昭和2年 1927)、「蔵前橋」、「言問橋」と「清洲橋」(昭和3年1928)、そして「勝鬨橋」(昭和15年 1940)が完成します。

戦後は「佃大橋」「隅田川大橋」「桜橋」「水神大橋」「中央大橋」が出来、「千住汐入大橋」(2006)のあと一番新しい「築地大橋」で19になります。




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4224号 スセリヒメ

2019/03/06 10:19
「古事記」では須勢理毘売命、須勢理毘売、須世理毘売と書き方が色々です。

発音はスセリビメと濁るのが正解らしいのですが、やはり姫=ヒメとした方がそれらしいと思い、タイトルは濁らないヒメにしました。

彼女は天照大神の弟、スサノオノミコト(こちらも書き方がいろいろで、カタカナにしました)の娘です。

大国主命が彼女を見初め、結婚したいと父親のスサノウに掛け合いますが、スサノウが大反対し、結婚したければとさまざまな危険な試練を課します。

なんとかその試験に合格し、スセリヒメはめでたく大国主のお妃となります。


しかし大国主にはすでに結婚していたヒメがいました。

もともとこの男は、女好きで(失礼!)、最初に娶ったのがヤカミヒメ(八上比売)という美女です。

この美人誉れ高いヤカミヒメを巡っては、兄たちの間で争奪戦がありました。

年下の大国主は、兄たちの荷物を担がされたり、なにかといじめられていました。

我こそはヤカミヒメを娶ろうと、兄たちが頑張っている中、大国主は孤立し、蚊帳の外にされていました。

ところが因幡の白ウサギを救った際、ウサギは「あなたがヒメを獲得する」と予言します。

ヒメを大国主に獲られた腹いせに、兄たちは彼を殺そうとし、大国主は二度も命を亡くすのですが生き返り、ヤカミヒメとめでたく結婚します。


大国主命には最初のヤカミヒメ、正妻のスセリヒメ以外に、あと4人の妻がいました。


そうした夫の女性関係に嫉妬したスセリヒメは、まず最初の妻ヤガミヒメに矛先を向けます。

ヤガミヒメはこれを畏れ、大国主との間に生まれた子供を置いたまま実家に逃げ帰ってしまいます。

その後、大国主は北陸に出かけ、ヌナカワヒメを妻にします。

これに対しスセリヒメは激しく嫉妬し、これを恐れた大国主はヤマトに逃げようとします。

しかし何とか関係修復はできたようです。

そのキーは、出て行こうとする夫を引き留める歌です。

私の大国主よ!
あなたは男ですから、
島の岬、港ごとに妻が居るんでしょうね。

わたしは女ですから、
あなた以外に男は居ません。
あなた以外に夫は居ません。

綾織の帳のフワフワと垂れている下で
カラムシの寝具の柔らかな下で
タクの寝具のザワザワと鳴る下で
泡雪のような白い胸を、
白い楮の綱のような腕を
愛撫し絡み合い、
わたしの手を枕にして、
足を伸ばしてお休みください。
さぁ、お酒を飲んでください。


スサノウの反対を押し切って、結ばれた二人ですが、男というのはショーモナイ生き物ですね(笑)。

やきもち焼きのスセリヒメですが、最後は正妻として終わるのはやはり立派です。


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4223号 落語「帯久」(2)

2019/03/05 10:46
前日より・・

与兵衛は、以前に分家してあった武兵衛という忠義な番頭に引き取られるが、どっと病の床につく。

武兵衛もまた、他人の請け判(連帯保証人)をしたことから店をつぶし、今はうらぶれて、下谷長者町に裏長屋住まいの身だが、懸命に旧主の介抱をするうち、十年の歳月が流れた。

ようやく全快した与兵衛、自分はもう何の望みもないが、長年貧しい中、自分を養ってくれた武兵衛に、もう一度店を再興させてやりたいと、武兵衛が止めるのも聞かず、帯屋に金を借りに行く。

相手も昔の義理に感じて善意で報いてくれるだろうという期待だが、当の帯屋は冷酷無残でけんもほろろ。

銭もらいとののしり、びた一文も貸す金はないと言い放つ。

思わず、かっとして百両の件を持ちだし、人間ではないとののしると、因縁をつけるのかと、久七は煙管で与兵衛の額を打ち、表にたたき出す。

与兵衛は悔しさのあまり、帯屋の裏庭の松の木で首をくくってやろうとふと見ると、不用心にもかんなくずが散らばっているので、いっそ放火して思いを晴らそうと火を付けたが、未遂のうちに取り押さえられる。

事情を聞いた町役人は同情し、もみ消してくれるが、久七は近所の噂から、百両の一件が暴かれるのを恐れ、先手を打って奉行所に訴え出る。

これで与兵衛は火付けの大罪でお召し捕り。

名奉行・大岡越前守さまのお裁きとなる。

下調べの結果、帯屋の業悪ぶりがわかり、百両も久七が懐に入れたと目星をつけたので、越前守はお白州で、「その方、大晦日で間違いが起こらぬものでもないと、親切づくで春永にでも改めて持参いたそうと持ち帰ったのを忘れておったのではないか」とカマをかけるが、久七は絶対に返しましたと白を切る。

そこで、久七に右手を出させ、人指し指と中指を紙で巻いて張り付け、判を押す。

「これは物を思い出すまじないである。破却する時はその方は死罪、家は闕所(取りつぶし)、そのむね心得よ」

久七は、紙が破れれば首が飛ぶというので、飯も食えない。

三日もすると音を上げて青ざめ、出頭して、まだ返していないと白状する。

奉行はその場で元金百両出させた上、十年分の利息百五十両を払うように久七に命じた。

持ち合わせがないとべそをかくと、百両を奉行所で立て替えた上、残金五十両を年賦一両ずつ払うよう申し渡す。

「……さて、和泉屋与兵衛。火付けの罪は逃れられぬ。火あぶりに行うによって、さよう心得よ」

これを聞いて久七が喜んだのなんの。「さすがは名奉行の大岡さま。どうかこんがりと焼いていただきましょう」

「なれど、五十両の年賦金、受け取りし後に刑を行う」

これだと、和泉屋がフライになるまで五十年も待たねばならない。

あわてたのは久七。

「恐れながら申し上げます。ただちに五十両払いますので、どうかすぐに和泉屋をお仕置きに」

「だまれッ。かく証文をしたためたるのち、天下の裁判に再審を願うとは不届き千万。その罪軽からず」

「うへえッ、恐れいりました」

奉行、与兵衛に「その方まことに不憫なやつ。何歳にあいなる」

「六十一でございます」

「還暦か。いやさ、本卦(=本家)じゃのう」

「今は分家の居候でございます」>



六代目三遊亭圓生は、二人の会話や、越前守の語りを見事に描ききっています。



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4222号 落語「帯久」

2019/03/04 10:06
これはおすすめの噺です。

起承転結があり、最後の大岡越前守の裁断が実に見事で、何度聞いても実にうまく出来た噺です。

「帯久」(ぼびきゅう)とは、帯屋の久七という主人と、道を隔ててあった和泉屋与兵衛という呉服店の噺です。


<享保五(1720)年春のこと。

日本橋本町四丁目に和泉屋与兵衛という呉服店があった。

主人は温厚な人柄で、町内の評判もよく、店はたいそうな繁盛ぶり。

本町二丁目にも帯屋という、これも呉服屋があるが、対照的にこちらは、主人・久七の性格が一癖あるのに加え、店も陰気な雰囲気で、「売れず屋」という異名がついてしまうぐらい、さっぱりはやらない。

とうとう三月の晦日の決済もできず、久七が和泉屋に二十両の金を借りにきた。

人のいい与兵衛は、「商人は相身互い」と、証文、利息もなしで快く用立てた上、ごちそうまでして帰す。

二十日ほどして返しにきたが、これに味をしめたか、たて続けにだんだん高額の金を無心して来るようになった。

その都度二十日ほどできちんと返済に来たので、十一月に百両という大金を借りに来た時も、与兵衛はあっさりと貸してしまう。

今度はひと月たっても梨のつぶて。

さすがに気になりだしたころ、大晦日になってやっと返しに来た。

ところが、座敷に通して久七が金を出し、入帳したところで、番町の旗本から与兵衛に緊急の呼び出し。

大晦日でてんてこ舞いの折から、与兵衛があわただしく出かけると、不用意にも金はそのまま、久七一人座敷に残された。

久七、悪心が兆し、これ幸いと金を懐に入れ、何食わぬ顔でさようなら。

帰宅した与兵衛は金がないのに気づき、さてはと思い至ったが、確かな証拠もないので、自分の不注意なのだとあきらめてしまう。


帯屋の方では、百両浮いたのが運の付き始め。

新年早々景品をつけて大サービスしたので、たちまち大繁盛。

一方、和泉屋はこれがケチの付き始めで、三月に一人娘が、次いでお内儀さんが五月にぽっくり。

追い打ちをかけるようにその年の暮れ、享保六年十二月十日の神田三河町の大火で、蔵二戸前もろとも店は全焼。

あえなく倒産した。

翌日へつづく

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4221号 スギ花粉の真っ盛り

2019/03/03 10:41
来てますねぇ・・・。

数日前から、くしゃみ・鼻水・目のかゆみと、本格的に花粉の年中行事が始まっています。

こうなると我が家では、洗濯物は外干しできません。

朝カミさんが洗濯機で洗い、45リットルのゴミ袋(新品ですよ)に詰めます。

男女七歳にして袋を同じゅうせず で、二袋になります。

近くのコインランドリーへ持って行き、10分100円ですから、4枚コインを入れます。

この日はドラムが回転し始めたのを確認し、近くの中華レストランで昼食を摂りました。

昼食を終えて、ランドリーに戻ると調度止まったところでした。

備え付けのカートに全部下ろし、カミさんは自分のものを、私も自分のものを、裏返しにした袋に詰め込みます。

この時気をつけないといけないのは、乾燥機から出てくる衣類が帯電していること。

衣類同士がくっついて離れない、なんて光景も見られます。

そして袋に詰め込んでいるうちに、指先に静電気がたまり、カートの金属部分でビリッときちゃいます。


「カミさんはキチンとたたんで・・」と作業しますが、私はかまうことなく放り込みます。

家に戻り3階のベッドに袋を逆さにしてまき散らし、品目別に一応たたんで(かなりいい加減)横のタンスにしまいます。

タンスの中では、新しく入居する衣類と、先住民と分けるようにしています。

世の中の亭主殿には、自分の衣類のありかが不明な人がいると聞きました。

また自分の衣類はすべて自分で買って管理している、という人もいました。

男性諸君もいろいろいますね。


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4220号 平成に流行った歌

2019/03/02 10:39
銀座の山野楽器器をのぞいていると、壁にポスターが貼ってありました。

こんな音楽が「平成」をつくった!  というタイトルでした。


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年配者にはなかなか難しい曲ばかりです。

知っているのは何曲かありますが、歌えるのが数曲のみ。

ちなみに平成元年の曲は、松任谷由美「Delight Slight Light KISS」、プリンセス・プリンセス「Diamonds」「世界で一番暑い夏」、BOØWY;「SINGLES」、長淵剛「昭和」「とんぼ」、Wink「愛がとまらない」「さびしい熱帯魚」となります。


30年間のDiskの、売り上げ枚数ランキング1位はB's、2位がMr.Children、3位はAKB48でした。



詳しくはこれをご覧ください。
https://www.yamano-music.co.jp/sale/heisei/








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4219号 シャフェ!

2019/03/01 10:25
ブラジル人は一日何倍もコーヒーを飲みます。

カフェというのは、ポルトガル語でも同じです。

カップは小さいものを使います。

まず砂糖をたっぷり入れ、そこにカフェを注ぎます。

かき混ぜません。

カップの底の砂糖がジワジワ溶け出すので、そのまま飲みます。

飲み終わっても、溶けきれなかった砂糖が底に残っています。

砂糖は安いので、こんな飲み方をするのです。


あのころ、私の友人の鈴木さんがサンパウロに来たので、「ルバイヤット」という、高級レストランへ連れて行ったことがありました。

サラダやステーキを食べ、デザートが来ると、カフェの時間になります。

鈴木さんは、もともとアメリカン・コーヒー派だったので、ブラジルのカフェは濃すぎて飲めません。

彼はギャルソンに「お湯をください」と頼みました。

ギャルソンは何にするのかわからないまま、ポットのお湯を持ってきました。

鈴木さんが、カップにお湯を足すところを見て、このギャルソンは変な顔をしていました。


ブラジル人はアメリカンコーヒーをバカにしています。

彼らにすれば、あまりにも薄いコーヒーなので「シャフェ!」と揶揄して呼んでいます。

お茶はcha(シャ)といいますが、caféカフェとくっつけてそう言います。

あれから何十年も過ぎてはいますが、アメリカンコーヒーと聞くと「シャフェ」を思い出します。



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4218号 映画「ヴィクトリア女王の最期の秘密」

2019/02/28 10:53
ヴィクトリア女王(1819年5月24日 - 1901年1月22日)の晩年の生活を、事実に基づき作られた映画。
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開始してすぐに「事実に基づいて・・」とコメントが入る。

宮廷の貴族の取り巻きや、凝り固まった古い因習の中で、ヴィクトリア女王は、また子供たちとも関係悪化ですっかり孤独な生活を送っていた。

そこへインドからアブドゥル青年がやってくる。

女王はすっかりアブドゥルが気に入り、そばに置くようになるが、古い体質の宮廷では評判は芳しくない。

女王が死期を迎えたことを察すると、アブドゥルに「インドに帰れ、ここではお前の敵ばかりだ」と帰国を促すが、アブドゥルは「いつまでもお側に」と取り合わない。

崩御すると、「敵」はアブドゥルをイギリスから追い出すことになる。

そして彼が住んでいた家に入り、女王と関係のある写真や書き物など、「証拠」はすべて焼却してしまう。

息子エドワード7世により、歴史から消された驚きの真実は、一世紀もの時を経てアブドゥルの日記が発見され、女王の晩年を輝かせた感動の秘密が明かされる。



<1887年、インドが英領となって29年目。

アグラに住む若者アブドゥル・カリムは、ヴィクトリア女王の即位50周年記念式典で記念金貨“モハール”を献上する役目に任命され、もう一人の献上役モハメドと共に英国へ渡ることになる。

18歳で即位してから、長年女王の座に君臨してきたヴィクトリア。

細かく決められる1日のスケジュール、思惑が飛び交う宮廷生活…心休まらない日々を送っていた。

そんな中、金貨を献上しに現れたアヴドゥルに心を奪われる。

物怖じせず、本音で語りかけてくる真っ直ぐな彼を気に入ったヴィクトリアは、祝典期間中、従僕にすることにした。

インド皇帝でもありながら、現地に行ったことがない女王は、アブドゥルから教えてもらう言葉や文化に魅了されていく。

次第に、身分も年齢も超えて強い絆が芽生えていくが、周囲はふたりの関係に猛反対。

やがて事態は英国王室を揺るがす大騒動へと発展していく。>


http://www.victoria-abdul.jp/

なかなか見ごたえのある映画でした。


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4217号 仲良くする?!

2019/02/27 10:15
「もっと仲良くすれば・・」と国と国が問題を抱えていると、テレビでそう軽くコメントする人がいます。

そう出来れば理想なのですが、有史以来そんなことはありません。

国と国が仲良くしているように見えても、そこには政治的な意味があって、便宜的に友好のふりをしているのです。

今日の「友好国」は、明日はどうなるかわからないのが現実です。

「友好国」と言われる国というのは、お互いに利用価値があるということです。

もし本当にそんな「仲の良い国」が生まれたとしたら、それは幻想で、まやかしです。

特に隣同士、近くの国同士が問題を生みやすいのは普通です。

国は利で動くのです。




世界平和が実現したとします。

それはどこかの国が世界制覇したことを意味します。

戦国時代が終わり、天下統一した秀吉を考えてみてください。

現在の世界も、それと同じ状況にあります。

どの国が覇権を制するか、熾烈な闘いをしているのです。


仲良く出来ないのは、国同士のことであって、国民同士はいがみ合う必要もありません。

隣の問題国でも、普通の人々とは仲良くしたいものです。



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4216号 額縁を選ぶ

2019/02/26 10:38
江東美術という店に行きました。

カミさんの絵を入れる額縁を見に行ったのです。

次回のパステル絵画展に出品する絵に合った額縁を注文するためです。

まずは大きさ。

絵は号数で大きさが決められていて、その号数に合った額を選びます。

額縁の周りの素材や色など、少しでも異なると肝心な絵の印象が変わってしまいます。

そしてマットと呼ばれる「部品」があります。

この写真の白い部分のことです。
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このお店の人はプロです。
画像

最初に出された額は、枠が濃いめでした。

カミさんが絵を取り出すと、

「この絵は明るい色の額縁の方が映えると思います」

マットの色も少しずつ差があり、私のような素人では、その違いなど判らなくて、どっちでもいいじゃないと思うのですが、カミさんはプロとあれこれ見ていました。

「こちらのマットは、少し緑が入っていて、この絵はブルーが強調されていますので別のマットの方が・・」

何でもそうですが、いいものを見てしまうと、やはりそっちが欲しくなるものです。

比べていた二つの額縁は、結局高い方に決めていました。


このあと錦糸町駅近くにある小龍包の専門店に行きましたが、営業時間がすでに過ぎていて残念!

余計な情報でした。


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4215号 情報過多

2019/02/25 10:24
情報過多です。

テレビ・ラジオ・新聞という従来の“古典的メディア”に加え、現代はインターネットの情報があふれています。

スマホは手元に置いておくため、すぐ情報に接することが出来ます。

それはひとつの長所ではありますが、次々に入ってくる新たな情報を見ていると、自分が情報を得ているのではなく、情報に使われてしまっていることに気づきます。


電車の中を見回すと、多くの人がスマホを見ています。

駅のコンコースで、スマホを見ながら、あるいは手に持って歩いている人がいます。

手に持っているのは、なぜか女性が多いと感じるのは私だけでしょうか。


ネット上、何種類ものニュースサイトがあります。

あるニュースアプリは通知がロック画面に表示されるため、知らず知らず見せられててしまうのですが、いいかげん疲れてしまいます。

ひとつニュースサイトアプリをアンインストールしました。

情報の奴隷にはなりたくありません。

そして眼科や整形外科のお世話にならないよう、注意してこの便利なツールを使いたいと思います。


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4214号 「孤独のグルメ」

2019/02/24 10:49
TV東京の終了番組「孤独のグルメ」というドラマを、先日までCSでやっていたので観ていた。

噺は単純だ。

サラリーマンの輸入雑貨商を営んでいる井之頭五郎が、仕事の合間に立ち寄った店で食事をする様を描いたグルメ番組だ。

営業訪問先での仕事が終わると、急に腹が減ってくる。

この展開は毎回同じで、そこから昼飯をどこにするか探し始める。

ある店の前の看板など見て、どうしようか・・と迷うが、意を決して中へ入る。

テーブルに案内され、それからメニューとにらめっこ。

壁に貼ってあるメニューも見ながら、あれとこれと・・と食事の設計を始める。

珍しいものを注文するが、出てくるものはどれもおいしく、大成功という展開になるのは毎回のパターン。

ただただ次から次へと食べるという番組なのだ。


あらかた観て感じたのは、食いすぎ。

よくまああれだけ注文して食えるなぁということ。

そして演じる俳優、松重豊は食べ方が豪快だ。

一度にたくさん口に入れるし、よく噛まない。

そしてレストランのママさんや従業員が美人。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

観ていると、かつての自分のようで笑ってしまう。

昼に何を食べようか、ウロウロして探し回るなんて、思い出してしまう(今でもやってます!)。

しかし「健啖家」と人から言われていた私でも、あの主人公ほどは食べられない。


https://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume/






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4213号 昭和は遠くなりにけり(128) 学生運動

2019/02/23 10:43
昭和35年は日米安保の改定があり、これに反対する全学連を中心に、左派の運動家たちがデモを繰り返していました。

中学3年生だった私は同級生と3人で、一ツ橋大学の学生に“家庭教師”とまではいきませんが、勉強を見てもらっていたことがありました。

ところがその学生がデモに参加し、すると自習ということになってしまったことが何度かありました。

そうなったら自習なんてするわけがないです。

3人ともカメラに興味を持っていて、誰がニコンで誰がキャノンでとか、カタログを見ながら議論したものです。


早稲田に入ると、学生運動たけなわでした。

キャンパスには立看板が立ち並び、マイクで叫んでいる男がいました。

大口昭彦という男です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%A3%E6%98%AD%E5%BD%A6

当時完成した第二学生会館の管理運営権を巡って、大学当局と反目し合っていました。

1966年初頭からストライキを決行し、私がいた第一法学部も1月18日からストライキに入りました。

せっかく大学に入って、勉学を放棄するストライキになんの意義も見いだせない私は、そんな全共闘のやり方に批判的でした。

でも授業がないのは、別の面でありがたいと思い、サークル活動を中心に大学に通いました。


その後昭和44年から東大紛争があり、現在でもときどきテレビで放映される安田講堂占拠事件が起こりました。

東大紛争が終わると、いわゆる学生運動は次第に終息していきました。

当時閉鎖された第二学生会館は、2000年に入り取り壊され、現在はきれいな建物が建っています。


ウィキペディアで「早大闘争」の詳細を見ると、そんなことがあったっけと、私にはまるで他人事です。

私は学生運動に興味はなく、また運動家の彼らを理解することも出来ませんでした。


いま早稲田に行くと、あの頃とはまるで別の世界です。

時代が変わったのです。


ちなみにあの大口昭彦氏は、現在弁護士になっているとネットで知りました。


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4212号 アームストロング

2019/02/22 10:26
ニール・アームストロング、アメリカの宇宙飛行士。

1969年7月20日アポロ11号で月に向かい、初めて月面に降りた最初の人類である。

この日私はテレビ中継を見ている。

当時の衛星放送はカラーではなく、モノクロであった。

その放送で映される映像は、不鮮明で、宇宙飛行士の動きもぎこちなかった。

ぎこちないのは、通信技術の問題ではなく、月の表面だったからかもしれない。

このアポロ11号の中継放送で同時通訳をしたのが、西山千という人だった。

彼は、日本における同時通訳の先駆的存在で、同時通訳が脚光を浴びたのはこの人が最初だ。

声がなかなか素敵で、姉がすっかりファンになっていた。

その時彼が通訳したアームストロングの言葉が、後に有名となったこれ。

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.)

「人間にとっての」英語for [a] manにカッコつきに[a]となっているのは、 アームストロングは「a」を言わなかったとされるからだ。

通信状態が劣悪で、聞こえなかったのか、それとも本当に言わなかったのか、謎のままである。

「a」がないと最後のmankindと同じ意味になって、「一人の人間にとって」ではなく「人類にとって」になってしまうのだ。


この月面にニクソン大統領が直接電話している。

このときニクソンはこう言った。

「すべてのアメリカ人にとって、今日は人生で最も誇れる日になるだろう。そして世界中の人々が、この偉業を認めてくれるはずだ。君たちのおかげで、宇宙は我々の世界の一部となったのだ」と。

ニクソンは着陸成功をを「アメリカの偉業」として伝えようとした。

これに対しアームストロングはこう答えた。

「ありがとうございます、大統領。しかし私たちは合衆国だけの代表ではありません。すべての国家の平和を愛する人、好奇心を持ち未来を目指す人々、彼らを代表してこの場所に立てるのはとても光栄なことです」


アームストロングは、2012年8月25日、心臓血管の手術後の合併症のために死去した。

82歳だった。



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