テーマ:ブラジル赴任の思い出

266号 ブラジル赴任の思い出  番外編

毎年12月最後の土曜日は、ブラジルに赴任していた早稲田大学の出身者の忘年会があります。赴任時期はそれぞれ別ですが、こうして一緒に集まって旧交を温めるのです。 場所はブラジル料理店。去年から渋谷の店になりました。ちょうど1年前このブログをはじめた最初の記事がこの会合のことでした。 それじゃ写真でも撮ってまたブログに載せようかと、チ…
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ブラジル赴任の思い出(100) さよならコンサート

とうとうこのシリーズが100回目を迎えた。いままでいろいろ思い出しながらそのときのテーマを決めて書いてきた。テーマさえ見つければ文章は書けるのだが、テーマが底をつくといけない。そろそろネタが尽きたので100回で終わりにする。 帰国の辞令が出て後任が着任した。代表者交代のパーティをホテルでやったが、そのときお客が帰る際渡したのが「さ…
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ブラジル赴任の思い出(99) 有名人

芸能人もたくさん来た。大体演歌系が多いが、覚えているのはジュディオング、尾崎紀世彦、小柳ルミ子だ。ジュディオングは例の鳥の羽のような衣装を着て歌う、曲名が出てこない、「魅せられて」だったか。 尾崎紀世彦は相変わらず歌がうまい。司会役のネルソンのことを、英語的発音でネルスンと呼んでいたのがおかしかった。 小柳ルミ子はホテルでの…
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ブラジル赴任の思い出(98) 有名人

商工会議所の講演会やパーティでは、日本から来た有名人に会うことが出来た。 石川六郎は後の経団連会長だが、あるゼネコンの副社長時代に訪伯(ブラジルのこと)している。元NHKアナウンサー高橋敬三氏は、夜の講演会でおしゃべりしていった。さすが話は上手だ。「どうも、どうも高橋敬三です」 元首相の岸信介氏は、安部元首相の祖父だが、「国際家族計…
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ブラジル赴任の思い出(97) 誘拐事件

ブラジルは危険な国だとは何回も書いたが、とうとう身近な人に誘拐事件が起きた。 それはあるゼネコンの代表で、個人的にもよくお付き合いさせていただいたS先輩だ。 以下は本人から聞いた恐怖の体験談である。 ある日のこと、娘さんの塾(英語だったか)に迎えにいくため、塾の前で運転手と車の中で待っていた。すると突然数人の男が現れピストルを…
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ブラジル赴任の思い出(96) アルコール車

ブラジルはアルコール車の優等生だ。74年のオイルショック後、石油を産出しないブラジルはサトウキビからアルコールを抽出し、ガソリンの代替にした。当初は「馬力が出ない」「臭いがきつい」など、ガソリン派から敬遠されていたが、価格は安く抑えられていたからこちらのファンも増えていた。 土地がいくらでもあるブラジルで、サトウキビの栽培は比較的…
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ブラジル赴任の思い出(95) 商工会議所

会社の代表になるとサンパウロ商工会議所に登録され、毎月の定例昼食会に出席することになる。初めて参加する際は自己紹介を兼ねて皆の前で挨拶する。 事務局からの報告やブラジル政治経済の論評がなされる。 商工会議所のイベントがときどきあるが、工場見学、諸施設の視察、講演会などがある。 有名人の講演会については次回に回すが、工場見学は面…
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ブラジル赴任の思い出(94) 紅白歌合戦

紅白歌合戦は移住組にも駐在員組にも超人気番組だ。現在はリアルタイムで放送されている(12時間時差があるので、31日の昼間)が、赴任当時は数ヶ月遅れで届いた紅白のフィルムが日系の映画館で上映された。小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の映像なんかよく覚えている。 75,6年ごろからリアルタイムになって、会社の仲間が集まって飲み食いしながら楽し…
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ブラジル赴任の思い出(93) 映画館

映画館について書こうと思う。 当時サンパウロには日系の映画館が4つあった。日活、東映、松竹、大映とか会社別になっていたからすごい。日本から1ヶ月遅れで送られてくるフィルムが見られる。 洋画の方はもちろんたくさん映画館がある。場末の館に入るとかなりやばい。座席に座るとモゾモゾ下半身がかゆくなってくる。スリには会ったことはないが多い…
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ブラジル赴任の思い出(92) 昼食会

楽しみの一つが昼めしだ。昼間際になると電話がかかってくる。他社の駐在員からだ。 「今日昼飯どうですか?」 「いいですねぇ、じゃあ12時に来てください」 「誰々も連れて行きます」 「了解です」 こんな会話があり、数人の友人が当社に来ると出発だ。車は地下の駐車場においてあるから簡単だ。 「今日はなんにしますか? “縦”“横”“斜…
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ブラジル赴任の思い出(91) ビデオ屋

カラオケはそんな風であったが、80年に入るとビデオが入ってくるようになった。先見の明がある人がレンタルビデオ屋を始めた。駐在員はこぞってビデオデッキ(たしかアメリカ方式)を手に入れ、そのビデオ屋さんで借りまくった。借りるのは1週間単位だったから、すぐ見て友達に回したりした。 そのうちビデオを置く食事処(なんとかクラブと称した)が出…
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ブラジル赴任の思い出(90) カラオケ

昔の学生コンパで「何か歌え」と先輩が命令すると、立ち上がって歌うのは歌謡曲で、伴奏などあるはずもなく、全員アカペラで歌ったものだ。 就職してから社員旅行に私はギターを持っていき、次々に歌の伴奏をしたことがあった。カラオケがなかった時代のことである。カラオケは日本人の歌唱力を飛躍的に向上させたと思う。ブラジルに行く前に聞いた、会社の宴会…
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ブラジル赴任の思い出(89) ブラジル人の食事

一般的なブラジル人の食事は質素だ。米のご飯に煮た豆をかけて、あとはサラダだが、これを一皿に盛り付けて食べる。豆に肉が入っていれば上等だ。米は油を少し入れて炊く。豆は見た目は「おしるこ」のようだが塩味である。 「日常茶飯事」と日本で言うが、この「茶」と「飯」のかわりに、ブラジルでは「米」と「豆」になる。「日常米豆」だ。(笑) …
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ブラジル赴任の思い出(88) サントス アフリカ大陸 コパカバーナ

小学校のころ、なにげなく教室にかかっていた世界地図を見ていて、アフリカ大陸の西岸と南アメリカ大陸の東岸の海岸線が似ていることに気づいた。 後年、「両大陸が以前はくっついていて、その後分裂して離れていった」ということを知った。 サンパウロ付近に限って言えば、海に向かうほど海抜が高くなり、上りきると急激に海に向かって下り坂になる。あ…
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ブラジル赴任の思い出(87) 隣国旅行

1972年から1982年までの10年間、私はブラジルで駐在員として過ごした。その間ブラジルの周りの国を訪れることが出来た。アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルーなどだ。 アルゼンチンは肉がうまい。ブラジルの肉もおいしいが、その3倍はうまい。世界一かもしれない。アルゼンチンは白人の国、そしてタンゴの国である。 …
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ブラジル赴任の思い出(86) マナウスとイグアスの滝

ブラジルで忘れてはならないのが、アマゾンとイグアスの滝だ。アマゾンへの日本からの出張者の話は前に書いたが、マナウスという町から遊覧船が出ていて、これに乗ると面白いところへ連れて行ってくれる。 マナウスは、リオブランコ(白い川)とリオネグロ(黒い川)がちょうど交わる辺りに位置している町だ。白い川の水は別に白いわけではないが普通の水で…
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ブラジル赴任の思い出(85) パスコア

ブラジルはカトリックの国である。都会でも田舎の町でも、中心地には広場があり、その正面にかならず教会がある。広場には花が植えられて、反対側にはホテルがある。これが典型的な町の中心地だ。「百万本のバラ」の世界といってもよい(笑)。 ブラジル人全員が敬虔な信者がというと、もちろんそういうわけではない。だが人生の大イベント、つまり出生、結…
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ブラジル赴任の思い出(84) 稲門会野球早慶戦

ブラジルの日系人社会にも早慶戦がある。稲門会(早稲田)と三田会(慶応)がそれぞれあり、移住された先輩と日系企業の駐在員が仲良くおつきあいしている。スポーツでは年に一度、野球とゴルフの早慶戦がある。 野球はサンパウロの郊外(100kmくらい?)の町にある、ヤクルト社(進出企業)の運動場が使われた。ユニフォームは日本の両校のもの、つま…
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ブラジル赴任の思い出(83) クリスマス アミーゴセクレート

クリスマスは一年で最も重要な日である。会社はこのころ年末休みに入る。1月は1日だけ休みで、2日以降は通常業務だ。 クリスマス前に会社の業務は終わり、最後の日には社内で懇親会を開く。このときに皆が楽しみにしているのが「アミーゴセクレート」(シークレット・フレンド)というイベントだ。どういうものかというと、あらかじめ社員全員で“くじ”…
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ブラジル赴任の思い出(82) 国旗国歌

ビルには旗を掲揚するポールがある。ブラジルの独立記念日には国旗とサンパウロ州旗を掲揚することになっていた。このポールに掲げればよかったのだが、空いているフロアーの窓から国旗を縦に垂らしたら、パウリスタ通りを通っていた軍警(ミリタリーポリス)が血相変えて警告してきた。 「国旗を出す場合にはルールがある。縦にするとは何事か!」というお…
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ブラジル赴任の思い出(81) 賃貸業 避難訓練 ガードマン

ビルの空きスペースを埋めるにはどうしたらいいか。入り口のロビーで佇みしばらく考えた。そして改めて気がついたことは「なかなかいいビルじゃないか」と。ふと頭に浮かんだ。このビルをサンパウロNo1の安全なビルにしてやろうと。 ブラジルは治安が良くない。ビルの中も怖いところが多い。安全、つまりビルに入りにくくすることでこれはかなり解決でき…
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ブラジル赴任の思い出(80) W氏との出会い

ある日、二人の日本人が私を訪ねてきた。一人は日本のビル管理会社の出張者で、友人W氏を連れてきたのである。このW氏との出会いがこれからのビル賃貸事業に大きな方向付けをすることになる。 W氏はいわゆる移民組であったが、比較的新しい移住者だ。いい目をしていた。面構えというと品が悪いが、いい顔をしていた。 当初清掃業務を希望していて、し…
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ブラジル赴任の思い出(79) 秘書採用

A氏が日本へ帰り、私が現地の代表となった。1979年34歳だった。広い部屋に移った。デスクはサンジョゼで使っていたものである。幅が2メートルあった。 ここで秘書について書こう。秘書はセクレタリアと呼ぶ。セクレタリアはOLの憧れの職だが、それなりの能力を要求されるので、誰でもなれるわけではない。 秘書の採用面接、これがなんとも楽し…
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ブラジル赴任の思い出(78) ビル火事(おはらい)

ブラジルはビル火事が多いとは前に書いたが、パウリスタ通りも例外ではなかった。アサヒビルの隣の隣のビルがボヤを出した。すると程なく隣のビルが火事を起こした。火事の原因はほとんどが漏電である。次はうちか?? 代表のA氏が言った。「“おはらい”をしよう」「はぁ?」「どこでやってもらえるか調べてくれ」「了解です!」 調べたところアルジャ…
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ブラジル赴任の思い出(77) スーパー

スーパーマーケットについては大体日本と同じだが、違うのはレジの中に「スピードレジ」というのがある。お客は大量に買う人もいれば、また1品か2品くらいしか買わない人もいる。少ない買い物をした人が並ぶのがこの「スピードレジ」だ。大量に買った人の後ろで長い間待たなくて済む。どのくらいの量だったら「スピードレジ」へ並ぶのかは定かでない。おそらく各…
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ブラジル赴任の思い出(76) エレベーター

今回はエレベーターについて話して見たい。エレベーターといっても技術的なことではない。乗っている人の話だ。 マンションでもオフィスビルでもそうだが、先に誰か乗っていると後から来た人はかならず目を合わせて、「こんにちは」と言いながら乗る。知らない人同士でもそうした挨拶が頻繁に交わされる。赴任当初はなんていい感じなんだと思った。日本ではどう…
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ブラジル赴任の思い出(75) アサヒビル

「アサヒビル」は最新式のデザインで建てられたビルとはいえ、日本のオフィスビルから見ると、やはり見劣りする。第一造りが雑だ。打ちっぱなしのコンクリートも仕上げが汚い。サッシは雨漏りするくらい出来が悪い。現在は建築も相当良くなっていると思うが、30年以上前のブラジルの工業力はそんなものだった。 地上階から上の銀行スペースは広い箱のよう…
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ブラジル赴任の思い出(74) パウリスタ通り

(74)080830 76年にパウリスタ通りに新しいビルが完成した。「Edificio Asahi」という名をつけた。「アサヒビル」だ。 パウリスタ通りは、サンパウロの中心街から南西方向に坂を登った、一番上の尾根に通っている道だ。尾根だからその先は下っていて、前に書いた高級住宅街が広がっている。 パウリスタ通りは、歴史的に…
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ブラジル赴任の思い出(73) アマゾン 出張者来る

日本本社から人が出張して来た。で代表と一緒にアマゾンへ行った。マナウスというアマゾン一の町で一泊した。きれいなホテルだった。 当日の夕食はホテルではとらず「アマゾン料理」の店へ行った。日本の「海の家」みたいな質素なつくりのレストランだった。 注文が終わるとほどなく、ボーイが大きな魚を肩に担いで我々のテーブルにやってきた。「これか…
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ブラジル赴任の思い出(72) グアラナ

どこの国にもその国独特な飲み物があるが、ブラジルではやはりグアラナだろう。 グアラナは炭酸系清涼飲料水で、ブラジルにいるときはよく飲んだ。コカコーラと並ぶ国民的飲料だ。 ゴルフ場のキャディに途中の茶店で「なにか飲む?なにがいい?」と聞くと、答えは決まってコーラ(ブラジルでコーラというと糊のことになり、コカコーラはコーカという)かグア…
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