テーマ:昭和は遠くなりにけり

5010号 昭和は遠くなりにけり(129) ブルーコメッツ

GSとエレキは不良と烙印を押されていた60年代、あのビートルズですら、学校では見に行ってはいけないと禁止されていた。 ブルーコメッツの正式名称は「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」だ。 バンド自体は1957年に結成され、米軍キャンプ周りのバンドとして活動していた。 脚光を浴びたのは、ドラム担当のジャッキー吉川が入り、リ…
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4926号 昭和は遠くなりにけり(128) パーシモンドライバー

私がゴルフを始めたのは1972年でした。 有楽町のレストランでランチをしているとき、ゴルフが好きな会社の先輩の言葉に惹かれたからです。 「ゴルフをやめる人はいないよ(それほど面白いということ)」 早速クラブを買いに秋葉原のゴルフ店に行きました。 「ダグサンダース」というアメリカのプロゴルファーの名前をつけた製品で…
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4895号 昭和は遠くなりにけり(127) お茶を出す

埼玉県議会で、議員に対しお茶を出す習慣があったが、今後は取りやめるとか報道があった。 驚きである。 まだ昭和が残っていたのか。 派遣社員の女性がその仕事をしていたのだが、「税金を使って・・」という批判が多い。 よく見ると金額的には大したことではないが、そもそもそうしたことは時代遅れなのだ。 47都道府県でそ…
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4452号 昭和は遠くなりにけり(126) 力道山

昭和30年代、テレビが一般家庭にそれほど普及していなかった時代、力道山が大活躍しました。 敗戦の傷が癒えずにいた日本人のコンプレックスを、奮い立たせたヒーローといってもいいでしょう。 小学校のころ、少しませた子供がいて、「プロレスは、あれは演技なんだよ」と教えてくれました。 そういえば力道山の空手チョップは、なかなか出…
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4383号 昭和は遠くなりにけり(125) “クリスマスケーキ”

80年代後半のバブルのころ、女性たちの間でこんな話がされていました。 今ではこんなことは言われませんが、「女性が25歳を過ぎると結婚相手が見つかりにくくなる」 適齢期、つまり高く売れるのは24歳までで、25歳を過ぎるとだんだんディスカウントせざるを得ないということです。 クリスマスケーキは、24日のクリスマスイブに最も…
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4271号 昭和は遠くなりにけり(124) 赤チン

赤チンの製造が終わるそうです。 赤チンは子供のころお世話になりました。 膝っ小僧など、しょっちゅうけがをして、赤チンを塗っていました。 真っ赤になるので、他の人が見て「どうしたの?」と聞きます。 赤チンの前に、オキシフルをいうのを消毒のために使いますが、これがしみるのです。 「痛いよう!」と言いながら、白い…
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4238号 昭和は遠くなりにけり(129) ラムネ

ラムネはいつごろからあるのでしょうか。 子供のころ近くのお店で、たしか5円だったと思いますが、おばちゃんにブシュー!と開けてもらったことを覚えています。 ウィキペディアにはこう書かれています。 <ラムネという名称は、イギリスからもたらされたレモネードが転訛したもの。 独特な瓶の意匠もこのとき同時に持ち込まれた…
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4213号 昭和は遠くなりにけり(128) 学生運動

昭和35年は日米安保の改定があり、これに反対する全学連を中心に、左派の運動家たちがデモを繰り返していました。 中学3年生だった私は同級生と3人で、一ツ橋大学の学生に“家庭教師”とまではいきませんが、勉強を見てもらっていたことがありました。 ところがその学生がデモに参加し、すると自習ということになってしまったことが何度かありま…
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4143号 昭和は遠くなりにけり(127) 「お勝手」

夜風呂に入りながらラジオを聞くのですが、民放は若者向けの番組で、あのNHKも悪乗りして若者を登場させ、くだらないゲラゲラ話を流しています。 そこで第二放送を聞くのですが、平日は英語講座です。 土曜日は朗読の時間があり、先日は、山本周五郎の「艶書」という小説でした。 風呂の短い時間だけの聴取ですから、どんな話なのかはわか…
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4212号 昭和は遠くなりにけり(124) 727

727という飛行機はアメリカボーイング社製の旅客機です。 その前の機種ボーイング707とは大きく異なり、T字尾翼と尾部に集中して搭載されている三基のエンジンが特徴の、短・中距離用旅客機でした。 1964年2月にイースタン航空から初めて就航し、以後日本でも全日空や日航が導入しましたが、当時はジェット旅客機の経験はなく、727が…
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4209号 昭和は遠くなりにけり(123) 坂道発進

最近の車はほとんどがオートマですが、昭和時代にはマニュアルの車が多かったのです。 運転免許を取るとき、教習所の中の坂道で一旦停止し、そのあと発進するというテストがありました。 坂道で停止したら、ギアをニュートラルにし、ハンドブレーキを入れます。 両足はなにも踏んでいません。 次にクラッチペダルを左足で踏んで、…
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4205号 昭和は遠くなりにけり(122) 「あなたのメロディ」

かつて「あなたのメロディ」というのがありました。 1963年3月23日から1985年3月21日まで、NHK総合テレビで放送された音楽番組でした。 ネットにはこう説明しています。 <この番組では、視聴者からオリジナル曲(基本は作詞・作曲)を譜面にて公募し、応募曲の中で優れたものを毎週5曲ほどプロの歌手による歌唱で発表…
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4185号 昭和は遠くなりにけり(121) 赤羽線

昔、赤羽線という路線がありました。 赤羽と池袋を結ぶ中間に2駅しかない短い路線です。 今はその線は埼京線と名前を変えて走っています。 大学時代、私は浦和から京浜東北線に乗り、赤羽で赤羽線に乗り換え、池袋から高田馬場まで通学していました。 赤羽駅は、京浜東北線が東側を走り、その赤羽線は一番西側でした。 階段を…
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4091号 昭和は遠くなりにけり(120) 「夜のヒットスタジオ」

「夜のヒットスタジオ」は昔、フジテレビで放送された音楽番組でした。 1968年から1990年までの長寿番組で、ウィキペディアにはこう記述している。 <1970年代前半までは「歌謡バラエティ」番組として、1970年代後半以降は、アイドル歌手・演歌歌手からテレビ出演に消極的であったニューミュージック・ロック系アーティスト、人…
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4082号 昭和は遠くなりにけり(119) 鞍馬天狗

鞍馬天狗を知っている人は70代以上でしょうか。 子供のころ、私のあこがれは鞍馬天狗でした。 元々大佛(おさらぎ)次郎の時代小説シリーズで、何度も映画化され、特に嵐寛寿郎の鞍馬天狗は46本もの映画になりました。 主人公は、普段は倉田典膳と名乗り、幕末を舞台に神出鬼没の勤王志士で、いざというときに「鞍馬天狗」というヒーロー…
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4055号 昭和は遠くなりにけり(118) 「シャボン玉ホリデー」

「シャボン玉ホリデー」は60年代から70年代にかけて日本テレビで放送された音楽バラエティ番組でした。 牛乳石鹸提供で、日曜日の18:30から19:00という30分番組でしたが、毎週欠かさずに見たものでした。 ザ・ピーナッツが歌うテーマソングは、今でも歌詞をちゃんと覚えていて歌えます。 いまでも覚えているのが、ザ・ピーナ…
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4051号 昭和は遠くなりにけり(117) 純喫茶

世田谷のどこかの町を歩いていると「純喫茶」という看板が目に入りました。 「純喫茶」ってなんか懐かしい響きじゃないですか? 昔はいたるところにあったのに、現在はめったに見かけなくなりました。 入店するとそこは昭和のなごりがプンプン。 ソファに座りコーヒーを頼むと、白シャツに黒いズボンの男性がトレイに乗せて持ってきま…
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4025号 昭和は遠くなりにけり(116) フィルムカメラ

子供のころ父親が持っていたのが二眼レフカメラ。 若い人はどんなものかわからないと思います。 二眼とはレンズが二つついているためです。 ひとつは撮影のためのレンズで、もう一つはファインダー用のレンズです。 どこのメーカーだったかはわかりませんが、上から覗くファインダーはなんとものんびりしたものでした。 次にオ…
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3996号 昭和は遠くなりにけり(115) 蓄音機

蓄音機というオーディオ機器が昔ありました。 蓄音機とは:声の振動を物理的な溝の凹凸ないし左右への揺れとして記録したレコードから、振動を取り出し拡大して、音声を再生する装置。 現代風に言えば、レコードプレーヤーです。 若い人はそう言ってもわからないかも。 ただ蓄音機というと、特徴は、ターンテーブルの動力として、セン…
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3888号 昭和は遠くなりにけり(114) 大学受験ラジオ講座

ここでいう「大学受験講座」とは、文化放送で昭和7年かr放送されていた番組のことだ。 「赤尾の豆単」にお世話になった人はたくさんいるだろう。 当時の旺文社社長の赤尾好夫が、「大学受験教育の地域格差を放送を通じて解消していく」という理念を掲げ、文化放送に企画を持ち込んだ。 放送が始まるとテーマ曲、ブラームス作曲の「大学…
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3813号 昭和は遠くなりにけり(113) 数寄屋橋

私が小さいころ、母方の祖父母のところ、築地の家によく行った。 正月には親戚一同集まったし、祖父の還暦の時も大勢だった。 有楽町駅から歩いて行くのだが、駅を降りるとまず川を渡る。 数寄屋橋である。(ビルは朝日新聞社) NHKラジオで放送されていた「君の名は」(1952- 1954)で、この数寄屋橋が有名になった…
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3317号 昭和は遠くなりにけり(112) 1972年

ある夜のこと、ふと目が覚めると「深夜便」で1972年の歌謡曲を流していました。 おもわず聞き入ってしまいましたが、1972年という年はいろんなことがあった年です。 1月24日 - グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見。 2月3日 - 札幌オリンピック開催。2月13日まで。 2月19日 - 連合赤軍によるあさま…
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3296号 昭和は遠くなりにけり(111) 空手チョップ

空手チョップは力道山の持ち技である。 小学校のころ、力道山のテレビにくぎ付けになったことを覚えている。 外人相手のプロレスで、なんと力道山がコテンパにやられ、形勢不利となり、もう負けかという段階になって飛び出すのが「空手チョップ」なのだ。 すると形勢はたちどころに逆転し、なぜか力道山が勝つことになる。 少年の頭で…
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3263号 昭和は遠くなりにけり(110)  電話交換手

私の時間軸で考えると、電話交換手はついこの間までいたと思ってしまいます(笑)。 昔、どこの会社にも電話交換室があり、外からかかってきた電話を担当者につなぐ役目をしていました。 私がいた会社の交換手に聞いた話ですが、社員が外からかけてくると、「もしもし」と言われる前に大体誰なのかわかると言いました。 プロの仕事はすごいと感じたもので…
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3200号 昭和は遠くなりにけり(109)   ステレオ放送

今でこそ当たり前で、誰も考えもしないことですが、「ステレオ」というのは、歴史的なものです。 言うまでもなくステレオとは、左右の音源を左右のスピーカーから流すものです。 昭和30年代こんなことがありました。 世の中にステレオというものを知ってもらうために、放送局が連帯して、同じ音源を流したことがありました。 左右の…
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3177号 昭和は遠くなりにけり(108)   紙芝居

紙芝居はいつごろなくなったのだろうか。 小学生のころはまだあった。 仲の良かった(故)伊藤君の家は、玉蔵院という寺のそばにあり、家に遊びに行った時よく紙芝居を見に行った。 紙芝居は寺の境内で毎日のように“開催”されていた。 紙芝居の内容はよく覚えていないが、「黄金バット」は当時のヒーローだった。 紙芝居…
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3152号 昭和は遠くなりにけり(107) 「マドロス」

マドロスという言葉は死語になっってしまいましたが、若い人は多分わからないでしょう。 昔はマドロスはアイドルのように扱われ(ちょっと大げさか?)、マドロス物の歌や映画が沢山作られた。 マドロスとはMatroosというオランダ語で「船員」のことだ。 昔は船員はもてもてだった。 つばのある頭の部分が白い帽子をかぶり…
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3110号 昭和は遠くなりにけり(106)  赤チン

赤チンと聞くと、懐かしく思う方が多いのではと思います。 いつごろからか、世間から姿を消してしまいました。 正式名を「マーキュロクロム液」といいます。 赤チンは子供のころ大変お世話になりました。 外で駆けずり回って遊んでいましたから、主に足をすりむくことが多く、そうした場合使うのは「オキシフル」という泡の出る、傷口…
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3068号 昭和は遠くなりにけり(105)  団地

団地というと、ウィキペディアにはこのように書かれている。 <1950年代半ばに日本住宅公団によって建設が始まった公団住宅は、水洗トイレ、風呂、ダイニングキッチン、ベランダなどを取り入れ、近代的なものとして憧れの住宅だった。> また公団住宅の項目では、 <昭和30-40年代には、都市部で働く地方出身の中流サラリーマンに…
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2650号 昭和は遠くなりにけり(104)  カローラ

カローラはトヨタの傑作です。 初めて登場したのは1966年の「東京モーターショー」で、直後に販売が開始されました。 1100cc60馬力は、今から見れば弱々しい印象を与えますが、当時としては一歩進んだ仕様だったのです。 カローラに初めて乗ったのは就職してからですが、当時のカローラのシフトレバーは国産初のフロアシフト…
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