テーマ:私とギター、そしてラテン音楽との出会い

279号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(29) ロス・コンパニェロス

また新しいユニットに参加することになった。ロス・コンパニェロスという名前のグループで、外語大OBと高校の先輩たちだ。先日渋谷のヤマハスタジオで初練習をした。取りまとめ役の張替さんは、ヤマハミュージックメディアの前社長で、HOTコロッケのPAでもお世話になった浦和高校の先輩だ。 総勢5名でリードボーカルの張替さんと澤西さんがギター、…
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276号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(28)  カプリーチョ

普段私はHOTコロッケで北見ケンさんとユニットを組んでライブをしているが、プライベートではカプリーチョというユニットを友人伊藤君と組んでいる。 伊藤君は大学時代のサークルで一緒だった。ただその頃の彼は、音楽は聞くだけで歌うことはしていなかった。 20年近くになるだろうか、帆足まり子さんのコンサートでバッタリ再会した。何日かして会社に…
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272号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(27) 見城さん

トリオを結成したのは1964年である。そしてその30年後の1994年5月に「結成30周年記念ライブ」を挙行した。影山君の仕事の関係者、T先生がこのイベントを企画サポートしてくれた。場所は芝の「ゆうぽうとホール」だった。 このホールは安い料金のコンサートはやらせてもらえないとのことだった。チケットには8000円となっていたからびっく…
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270号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(26) 卒業後

卒業後は学園祭に先輩として出演したくらいで、メンバーそれぞれが新しい生活に入ったため目だった活動はしなかった。 影山君は実家(静岡)の事業の一端を担うべく就職、大野君はプロのラテン歌手としてデビューした。私はS社に就職し、国内営業からその後貿易部に異動した。3年後に転職し、72年にブラジルへ赴任することになる。このことでトリオとしての…
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268号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(25) プロへの誘い

卒業間近のある日帆足さんから電話があった。「これから一緒にやらないか?」という誘いだった。 アルバイトをいろいろやってきたが、高田の馬場の駅前にあったキャバレーに出演したときだった。酔った客がふざけたのか「浪曲子守唄をやれ!」と声をかけてきた。ラテン音楽なんて聞きたくないということだ。まぁ酔っ払いの気持ちは良くわかる。 当時…
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267号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(24) アルバイト

大学4年の冬休みは虎ノ門のスペインレストランでアルバイトをした。 ここを紹介してくれたのは帆足まり子さんだった。最初に先方の支配人と打ち合わせに行ったとき、支配人が「何曜日が空いていますか?」と聞くので、「あっ いつでも大丈夫・・・」と言いかけたら帆足さんが制止して、「ちょっと待ってくださ~い」と言いつつ、手帳を開いた。手帳を見たって…
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261号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(23) 他の大学との交流

ラテンアメリカ関係のサークルは他の大学にもあり、定期的に交流していた。 4年生のとき学習院大学のピラミッド教室で「スペイン語弁論大会」が開催された。そのプログラムの中で我々のトリオが歌うことになった。 ステージが終わり、客席に戻ると後ろに座っていた女子学生が声をかけてきた。青山学院の1年生だった。「歌とギターを教えて欲しい」「O…
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260号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(22) 強歩大会・部室火事

3年の12月、部員による強歩大会が行われた。誰がやろうと言い出したのか不明だが、JR青梅線の終着駅「奥多摩駅」から中野まで歩こうというイベントだ。67Kmあると聞いた。 深夜に奥多摩駅を出発し皆で山を下った。 安全のため車が1台伴走していた。さすが明け方は寒く、交代で車の中で暖をとった。ラジオを聴いていた運転手役が「部室が焼けた…
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257号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(21) アルバイト

歌のアルバイトはよくした。一番最初は1年の夏だったか。川口のなんとかビルの屋上のビヤガーデンだった。ここでだされた“まかない”は今考えても粗末なものだった(笑) ビヤガーデンには良く出たが、その他で思い出になっているのは新宿の「ギターラ」というフラメンコを見せる店だ。出演に際してはオーナーのチェックを受けた。このオーナーというのが…
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256号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(20) 外語大へ

学園祭シーズンには外語大によく行った。早稲田から都電荒川線で行けば30分くらいで行けたから近かった。 スペイン語学部の「リンダ」という喫茶店みたいな店ができていて、ここでフラメンコのライブがある。踊っているのはもちろん外語大の女子学生で、客席からスペイン語のヤジが飛んだりして面白かった。 我々はゲストとして何曲か歌わせてもらうの…
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252号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(19) 帆足まり子さん

帆足まり子さんに出会ったのは、1年生のときだったか2年生のときだったか、よく覚えていない。帆足さんは文化放送で長い間「S盤アワー」という人気番組に出ていて、年配には懐かしい名前と思う。 最初にあったとき、米軍キャンプへ行かないかと誘われた。「立川の米軍基地でパーティがあるので歌いに行こう」ということだった。日本に駐留している米軍に…
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250号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(18)  大学対抗バンド合戦

当時TBSラジオに「大学対抗バンド合戦」という人気番組があった。 各大学のサークルからいろんなバンドが出場して競うというものだが、当時はラテンを歌うユニットも何組か出演していた。司会は小島正雄さんで、後に大橋巨泉さんに代わる。司会者を見てもジャズ系とわかるが、審査員には当時の一流のジャズメンが並んでいた。 ここに外語の先輩が出た…
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246号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(17) NHK出演

当時NHKの番組で「あなたが選ぶのど自慢」という番組があった。20人の視聴者代表が、出場者の歌を審査するというもので、合格と思う人に起立してもらい、その数で金・銀・銅賞がもらえる。審査員の合格・不合格のコメントが言いたい放題で面白かった。 それでこの番組に出ようということになり、NHKに応募した。「何月何日に来てください」と通知が…
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242号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(16) 後輩トリオ

2年になると新入生が入部してきた。その中に高校時代のメンバー持田君がいた。 前橋出身の同じ1年生の大林君もラテンをやるというので、持田君とユニットを組むことになった。 夏休みに外語の人たちと伊豆へ合宿に行った。浦和高校の2年先輩がスペイン語学部にいてロス・コンパニェロスというトリオを組んでいた。1年生にも1組出来ていて、スペイン…
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232号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(15) 高田馬場の楽器店

今でもあるのかどうかは知らないが、当時高田馬場の駅前にレコード屋さんがあった。駅を降りて信号を渡った向こう側だった。 ここにある日レキントギターが展示されていた。値段表には1万5千円と書いてあった。昭和40年のことである。 漫画的に言うと、ギターの周りには星がキラキラ輝いているように見えた。 そのころの大卒初任給が2万円だった…
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230号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(14) 早稲田祭

早稲田祭が来た。部員が駆けずり回って準備をしている中、私たちは空気が読めず手伝いもせず、ひたすら練習に明ける毎日だった。いざ当日になるとトリオは主役になってしまい、他の部員たちはどんな思いだったろうか。 教室を喫茶店風にしつらえて、ブラジル大使館から協賛を受けたコーヒーが出されていた。コーナーに1段高いステージが作られ、そこにマイ…
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229号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(13)  夏の合宿 皇太子ご夫妻

静岡での合宿が終わり、8月に入るとサークルの合宿があった。場所は長野県の木崎湖。 湖畔にある木造の安宿「だるま屋」が投宿場所だ。そこで毎日先輩の幹事による勉強会があり、あとは遊びである。 着いた翌々日くらいだったか、外をパトカーがゆっくり走り、警察官が旅館に回ってきた。 「おーい!そこ!」と警察官に注意されたのは窓に干してあっ…
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228号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(12) 名前を決める

この連載ものを書いてはいるが、なにしろ話が大昔のことなので記憶が定かでない。特に時系列は前後しているものがあるかもしれないので、その点お断りしておく。 さて3人集まったが、ユニット名を決めなくてはならない。いろいろ考えては見たがいい案が浮かばず、結局先輩トリオの名前をいただくことにした。先輩は“トリオ・ロス・ソルテロス”で、本来な…
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227号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(11)  影山君入部、大野君参加

影山君をラテンアメリカ協会に入部させた。そして練習の場所は長屋の入り口付近に変わった。なにしろ声が大きい男だったから回り中に聞こえていたに違いない。 練習中、ちょっと離れたところでじっと我々を見ていた男がいた。これがすでに部員だった大野君である。 大野君が我々に合流して3人のユニットが出来た。1964年の5月だった。 影山…
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224号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(10)   影山君との出会い

1年生の4月、英語の授業のときたまたま隣に座っていた男(学生服に角帽)が、授業終了直後手帳を取り出してなにやら口ずさんでいる。ふとのぞいてみると「En El Fond Del Mar」という歌の歌詞が書いてあった。「君はラテンをやるのか?」ということで、劇的とも言える影山君との出会だった。 「一緒にやろうよ」と意気投合し練習日を決…
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222号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(9)  ラテンアメリカ協会

私が入部したラテンアメリカ協会には、事情部門・音楽部門・スペイン語部門と3部門あり、幹事長の下に各部門の幹事がいた。3年生は怖そうだったし、4年生はもうくたびれたオヤジにしか見えなかった。 部室のある長屋には、通路の両側にいろんなサークルの部室があった。演劇系が多かったが、一番奥はゴルフ部で真ん中あたりに放送研究会があった。わが部…
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220号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(8)  大学受験

すっかりスペイン語にはまってしまった私は、大学はスペイン語の授業があるところへ行こうと思った。といっても外語に入れるほどの力はないから、第2外国語でスペイン語が選考できるところということだ。早稲田、慶応、上智を選び受験した。 慶応と上智は早い発表だったが両校とも落ちた。早稲田の発表が一番後で、これでは早稲田もダメだろうと思い、すぐ…
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217号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(7) レキントギター

浦和の楽器店で小型のギターを売っていた。さっそく買ってきた。レキントとは書いてなかったがレキントと同じだった。 レキントの調弦がギターの5フレットと同じということは、Amの曲はEmで弾き、Emの曲は2つカポをつけてAmで弾くということだ。 ギターの5フレット目とレキントを比べると、レキントの方が弦長は5cmくらい長い。長いけれど…
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215号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(6) リードギターの秘密

学園祭も終わり、それからラテンにはまってしまった私は、武川君が持ってきたLPレコードを放送室で何回も聴き、曲と歌詞を覚えた。そしてそのうちリードギターをどうしても弾きたくなり、耳コピーしてみたが、早いパッセージの箇所はどうしても聞き取れなかった。特にクルリと音が回るような奏法はわからなかった。大体ギターであんな高い音はどうやって出すのか…
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212号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(5) 学園祭

いよいよ学園祭が来た。その衣装はというと、まず学生服のカラーをはずし、襟を折り曲げてジャケットのようにした。それにサラペというメキシコの色とりどりの肩掛けが必要とのことで、私の母親に相談したら、どこかでそれらしい生地を見つけてきてミシンで縫ってくれた。 学園祭当日は無我夢中で、なにも思い出せない。 2年生で出演したラテントリオが…
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211号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(4)学園祭に出る

2年生の夏ごろだったか、石村君が教室にやってきて「持田が呼んでるよ」と言った。なんでも持田はギターを持っている人を探しているそうで、「橋本が持っている」と教えたそうだ。 持田と武川がそこにいて、「学園祭で一緒にやらないか」と誘われた。 武川君は音楽一家に生まれピアノはメチャメチャ上手だった。ゴダイゴの“タケカワユキヒデ”の兄さん…
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210号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(3) ギターに目覚める

田中君が聞かせてくれたレコードのことはすぐに忘れてしまった。そして田中君は日比谷高校へ進学、私は地元の浦和高校に行った。これで田中君とは一応別れ別れとなった。 高校1年のとき小学校で一緒だった持田君と同じクラスで再会する。私は1,2年生のときは浦和市立の小学校へ行き、3年から埼玉大学の付属小学校へ転校した。持田君は小学校のときは“…
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209号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(2) 初めてレコードを聴く

中学当時の私は天文少年で、手作りの望遠鏡を友人たちに作ってあげたりしていた。対物レンズが4,5cmの普通の望遠鏡だったが、結構よく出来ていて、晴れた日には夜空を見上げて惑星や月を眺めていた。そんな私が欲しくてしょうがなかったのが、反射望遠鏡である。市販の反射望遠鏡は当時でも数万円はしていたから、買えるはずもなく、それでも諦めきれずに「反…
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207号 私とギター、そしてラテン音楽との出会い(1) 友人田中豊一君

HOTコロッケ立ち上げを田中君にメールした。「帰国の際はぜひ寄らせてもらう」と返事があった。それから1週間後突然の訃報だった。 中学校(埼玉大学教育学部付属中学校)に親しい友人田中君がいた。 この学校には勉強の出来る生徒が多くいたが(出来ないのもかなりいた)、中でも田中君は秀才中の秀才だった。 校長は英語教育に熱心で、…
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